白金高輪の静けさ、神社で心安らぐ。
白金氷川神社の特徴
港区白金高輪駅からわずか5分、アクセス良好な神社です。
江戸七氷川神社の一つで、歴史ある神社のひとつです。
境内には可愛い猫がいて、癒やされるひとときが楽しめます。
日曜日のランチ後、お散歩中に初めて伺いました。境内は静かで、手入れが良く行き届いています。偶然他に参拝者の姿はなく、周りを見渡すと白黒とキジトラの猫ちゃんが2匹仲良く日向ぼっこをしていました。白黒の猫ちゃんはあまり人馴れしていないようでしたがキジトラの子は撫でさせてくれました。(お尻ぽんぽんがお好みのようでした)空気が澄んでとても気の良い場所でした。開運、厄除、身体健康、災禍消除、家内安全、商売繫盛、病気平癒、交通安全の御利益があるそうです。
入口の大きな鳥居が目を引く神社です。境内はとても落ち着いていて、猫ちゃんが結構いました。手入れも良くされていて手水舎も良い雰囲気です。
白金氷川神社にお伺いさせていただきました。東京メトロ南北線、都営地下鉄三田線の白金高輪駅から徒歩10分ぐらいです。鳥居を潜り階段を上ると広い境内が。拝殿、本殿は戦後に再建されたようですが、造りも重厚で素晴らしい限りですね。境内社の建武神社も境内社とは思えないぐらい立派でした。また、こちらの神社は猫さんが有名みたいでしたが、社務所前にいました!とても可愛く癒されましたね。限定の御朱印も拝受出来ました🙇
住宅街の中にある、静かで落ち着いた神社でした。猫ちゃんが4匹いて、和みました。御朱印も猫ちゃんのがあって、可愛かったです。お友達は、誕生日当日だったので、誕生日の御朱印ももらっていましたよ。
かの有名な白金エリアに住む地元の方々の神社の様です。静かな雰囲気がありました。通年1種と今月の御朱印2種で3種頂きました。境内には他に稲荷神社、建武神社もあります。
初めて参拝しました。ハロウィンのご朱印とバースデーご朱印をいただきました。外にいるねこちゃんたちを見ながら待っていたらあった言う前に時間が過ぎました。かわいく丁寧なご朱印です。対応していただいた方の帰りかけの声かけがほっとしてルンルンで帰宅しました。
白金の落ち着いた雰囲気そのままの落ち着いて洗練された雰囲気の神社です。雨が降っていたため、以前お参りさせていただいた時にはたくさんいた猫ちゃんには会えませんでした。
港区白金。主祭神は素戔嗚尊・日本武尊・櫛稲田姫。飛鳥時代に創建されたと言われております。港区では最古の神社です。社殿は東京大空襲で焼失し、1958年に再建されました。
白金高輪駅から、歩いてだいたい5分くらい、マンションの間に入口があり、鳥居が見えます。階段を上ると、猫ちゃんがお出迎え。何匹かいるようです。撫でさせてはくれませんが、触れそうなところまで来てくれるので、写真は撮れるかも!氷川神社があり末社に稲荷神社と建武神社があります。それぞれ参拝して、御朱印をいただきました。社務所の窓口が開いていないときは、玄関のチャイムで呼び出します。季節限定の御朱印もあり、誕生月には誕生日の御朱印もいただけるようです。猫ちゃんがデザインされているものも多く、動物好きにはたまらないかもです。御朱印帳に直書き(直押し・・・スタンプなので)していただけます。書置きがあるかは聞いたことはないので分からないです。限定御朱印は、インスタでチェックできますよー。
| 名前 |
白金氷川神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3441-8842 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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港区最古の神社とされ、白鳳期(飛鳥時代)創建と伝わる。また、江戸中期の地誌『望海毎談』には「江戸の七氷川」の一つとして数えられるが、ネット上では、これに謎があると言われている。史料を読む。「氷川明神江戸の中に七所有。赤坂御門外の社、江戸にては年久し。元大宮の近くに小呂子と云所氷川を詞りたりし社なり。此所より遷したる所なきは赤坂の宮居を小呂子の宮と呼たるを誤て小六の宮といふ。【中略】将軍家の若君御氏神たるを以て享保十五年戌の正月今井の明地に宮所結搆に御造営有て近し給ひ赤坂の元の宮居は隔年に六月十五日祭禮の時の神輿の御旅所に成て有来。銀杏の大木茂り、深く秋の落葉片々たり。此外今井の盛徳寺の内し氷川の社。麻布一本松の市中の社。羽根田村にて新堀近き所の社。下渋谷にて羽根田の屋敷の社又北方のにては上水の鰭成萬年寺山の社。巣鴨の入口なる氷川の社。頭は坂よく上へ見上る所にしていとかうかうし。何も氏子多く賑ふ也。」この「羽根田村にて新堀近き所の社(羽根田村にて新堀に近い所にある氷川神社)」は、素直に読めば、羽根田村つまり大田区羽田の当たりと考えられるが、当時の史料(『新編武蔵風土記稿』『江戸志』『江戸名所図絵』)には、この近辺には「氏子多く賑ふ(氏子が多くに賑わっている)」様な氷川神社や新堀に比定される記載がない。つまり、「江戸の七氷川」の一つとして記された「羽根田村にて新堀近き所の社」が、具体的にどこを指すのか、という謎があるというのだ。果たして、『望海毎談』の筆者は、どの社を想定してこの記述を残したのだろうか。現在では多くの人がネット上で様々な推測を重ねているが、依然として確証はないものとされる。私も推察を行ったが、結論として、「羽根田村にて新堀近き所の社」は、一般的に推察される通り、白金氷川神社を指すと考えるに至った。まずそもそもの話、「羽根田」は「羽根沢」の誤記とみれば筋が通るからだ。羽根沢は江戸期に大名の下屋敷が集まった渋谷区東〜広尾周辺域を指し、また、『江戸切絵図』にも記載がある。この解釈は、文中の「下渋谷にて羽根田の屋敷の社」とも整合する(こちらも羽根沢の誤記だろう。)。なお、「新堀」と称する場所は蔵前など、江戸のあちらこちらにあるが、ここでは舟運のため拡張された古川の異称と見られる(現在も「新堀橋」が架かる)。ここまで来ると、「羽根沢村にて新堀に近き所」の条件を満たす氷川神社は、麻布氷川神社と白金氷川神社がピックアップできるが、麻布氷川神社は「麻布一本松の市中の社」と明記されているため、残る白金氷川神社に比定されるのである。