江戸六地蔵、霊巌寺で時を超えるひとときを。
霊巌寺の特徴
清澄白河の中で一際敷地が広いお寺です。
松平定信の墓所があり、歴史を感じる場所です。
江戸六地蔵の巡拝スポットとして有名な寺院です。
霊巌寺を訪れると、江戸時代の面影を残す落ち着いた境内に心が和みました。寛永19年(1642年)に創建された浄土宗の寺院で、徳川家康に仕えた鳥居耀蔵の墓や、江戸六地蔵のひとつがあることで知られています。かつては隅田川沿いに位置し、庶民の信仰を集めた歴史を持ちます。現在も静けさの中で多くの参拝者が手を合わせ、地域に根付いた存在であることを感じました。都会の喧騒から少し離れ、江戸の歴史を肌で感じられる寺院です。
清澄白河駅からほど近い場所にある大きな寺院。白河藩主松平定信の墓があることで白河の地名を生んだ。かつては中央区新川地区に建っておりその旧名である霊厳島の地名の由来となった。境内の見どころは松平定信墓所・江戸六地蔵の一つとされる地蔵尊・法然上人の若い頃の姿である勢至丸の像くらい。
駅からもアクセスしやすく「清澄通り」から「深川江戸資料館」に向かう途中に江戸六地蔵にある霊厳寺はあります。といっても元々は日本橋の近くにあったらしいこのお寺は明暦の大火による消失と、その後の都市改造計画によってこの地に移転したものです。浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。お地蔵さんの他には寛政の改革を行った松平定信の墓などがあります(普段は鉄柵で閉じられているようです)境内では江戸六地蔵のほかに六地蔵尊とも出会うことができました。
清澄白河はお寺がたくさんあるのですが、その中でも一際敷地が広いお寺です。門構えからして立派で、ついつい入ってしまいました。
老中阿部定信の菩提寺。清澄白河の地名を偲ぶ白河藩とのご縁を感じる。白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき門をリニューアルして綺麗になりました。この辺りの寺はマンション経営になってる堕落した寺ばかりなのに、保育園を作るなど少しちゃんとしてる匂いがします。
松平定信公の墓参りに。想像より大きく立派なお寺でした。新しい建物が出来ていたようですのでまたぜひ伺いたいと思います。
半年前ですけど、渋沢栄一スタンプラリーなる企画でこちらに訪問しました。清澄白河駅からはほど近く、数件隣には江東区営の深川江戸資料館があります。こちらに渋沢栄一が私淑した、松平定信のお墓がありました。中は入れませんのでご注意を。
元々は、徳川家康公の求めに応じた雄誉霊巌上人により日本橋付近の霊巌島に創建されたお寺ですが、明暦の大火により霊巌寺が延焼し、その後、江戸の火事対策のために、霊巌寺に因んで霊巌島と名付けられた元の場所から深川に移されています。境内には、江戸六地蔵の第5番目とされる丈六の地蔵菩薩坐像をが安置されていますが、寛政の改革で有名な松平定信公の墓もあり、都指定の史跡として指定されています。また、今の霊巌寺がある近辺を「白河」と呼ぶのは、陸奥白河藩藩主である松平定信公の墓があることに由来しています。元の地名では霊巌島、今の地名では清澄白河と当時の影響力を感じます。今でも山門の建て替え中で深川を代表しそうな立派な門が建てられるようで楽しみです。
大きなお地蔵様は享保2年(1717年)と説明板に記載されていました。300年以上前から鎮座されているとのこと。歴史を感じます。
| 名前 |
霊巌寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3641-1523 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
江東区白河。1624年創建。本尊は阿弥陀如来。浄土宗の霊巌上人によって開基されました。霊巌は駿河国の生まれ。下総国の大巌寺の住職となり、その後は大和国で多くの浄土宗寺院を建立しました。その功績を聞いた徳川家康は彼を大巌寺に呼び戻し、安房国に大巌院を開かせました。1624年に彼は江戸霊巌島(現・中央区新川)に霊巌寺を創建し、関東十八檀林の一つとなりました。檀林とは浄土宗の僧侶を養成する機関です。しかし、明暦の大火でお寺は焼失。1658年に深川に移転しました。このお寺には寛政の改革を行った老中・松平定信の墓があります。また、このお寺がある江東区白河は松平定信の出身地・陸奥国白河(福島県白河市)に因んでいます。境内には江戸六地蔵の5番目が安置されています。松平定信の墓は国の史跡、江戸六地蔵は東京都指定有形文化財です。松平定信のような正直者で曲がったことが嫌いな人は是非彼のお墓にお参りください。