田沼意次の歴史を感じて。
萬年山 勝林寺の特徴
1615年創建の歴史ある仏教寺院で、地域に根ざしています。
江戸時代の老中・田沼意次の墓所がある特別な場所です。
六義園方面に位置し、整備が行き届いていて美しいです。
勝林寺 東京 2024/03/13勝林寺は江戸時代の老中「田沼意次(たぬま おきつぐ)」の墓所があり、田沼家の菩提寺。 田沼意次=賄賂政治家⇔『越後屋お主も悪よのぉ~』というイメージが強いけれど、実際には農民に重税を課すのではなく、商業を重視し、民衆を富ませる経済政策を実行した有能な政治家だったらしい。勝林寺入口の門に木造の仏像が置いてある。 麦わら帽子を手にして、無骨な表情戸相まってなんとも言えない良い雰囲気。本堂は現代的でお寺らしくないデザインで、2019年のグッドデザイン賞を受賞している。 地下にも進む道があるけれど、扉は開かなかった。本尊は釈迦如来像で春秋の彼岸の時は公開されているとの事。水連鉢がたくさん置いてあったので、夏に来ると水連がたくさん見れるのかもしれない。
山手線駒込駅の内側(六義園方面)は、かなりの回数を重ねて訪ねている。ソメイヨシノ発祥の地も訪れているが、その先にと歩くと見慣れた風景に出会した。旧古河庭園は何度も行っているので、西に歩を進めることにしていると勝林寺に辿り着く。境内には寺らしき建物がなく、近代的な寺院であったが、田沼意次の縁の寺とのことである。
1615年創建。本尊は釈迦如来。医師であった中川元故が創建。当初は湯島にありましたが、明暦の大火後に駒込蓬莱町(今の文教区向丘)に移転。江戸時代には多くの大名や旗本を檀家に抱え、その中でも有名なのは田沼意次です。彼は老中の時、このお寺の拡張整備を行っているため、勝林寺では田沼意次を中興の祖としています。そして、このお寺は田沼意次の墓所があり、田沼家の菩提寺にもなっています。本堂は現代的でスタイリッシュなデザイン。2019年のグッドデザイン賞を受賞しています。
江戸時代中期(1700年代)の幕府旗本、(後に)大名、幕府老中であった田沼意次(おきつぐ)公の墓所。田沼意次公は幕府の財政立て直しに尽力した武将です。農業よりも商業に力を入れ、幕府の財政立て直しを図ったらしいです。因みに田沼氏の出自本姓は藤原氏。下野国の佐野氏の庶流が発祥とか。田沼意次公は紀州藩士(足軽)から将軍吉宗公の時代に旗本に取立てられた父の元、江戸で生まれました。そこから親子二代で足軽から大名家に列するまでになったのだから、父•子ともに立派なものです。叩き上げの苦労人ですよね。よく頑張った。なので田沼意次公は家格が下の大名家にも非常に丁寧な接し方だっとか。人間が出来てますね。素晴らしい。苦労をした人は他人に対してやさしく出来るものです。大名家としては(一番繁栄した時期としては)遠江•相良藩初代藩主。相良城主(天守閣有りの城)という感じでしょうか。五万七千石という家格の大名家まで登りつめました。(その際の所領は七ヵ国、十四郡の分散知行とか)ここ勝林寺は小ぢんまりとしていますが、キレイな造りの建物が有り、良くまとめられている印象。寺の創建は元和元年(1615年)だそうです。
勝林寺。臨済宗妙心寺派の寺院。本堂は拈華堂(ねんげどう)と言う。
田沼意次の墓所です。先見の明を備えた江戸時代希有な政治家です。感動です。しかし駅から遠く又、お寺までの道もわかりずらいです。近年は、意次の評価も再評価されてきましたので、お寺までの道案内を整備してほしいと思う。
キレイに整備されており、いつもお世話になっております。最近、本堂も建て直されたようで更にキレイになりました。
| 名前 |
萬年山 勝林寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3917-5436 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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2025年12月28日に訪れました。田沼意次の御墓に参って来ました。NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場したこともありますが、近年、大きく評価が変わってきたと思います。個人的にも先進的な経済政策の推進者として再評価されることを望みます。境内に田沼意次の御墓まで、案内表示がされていて助かりました。