937年創建、彫刻に感動!
先崎鷲神社の特徴
先崎鷲神社は承平7年(937年)に創建された歴史ある神社です。
知る人ぞ知る、平将門の乱を調伏した神社としても有名です。
木鼻や獅子鼻などの彫刻に圧倒される独特の美しさがあります。
「イノシシ注意」の看板があるほどの田舎にある珍しい神社です。近くに住んでいるのに存在を知りませんでした。無人の御札販売と、古いですがトイレが設置されており助かります。境内は苔の絨毯が美しく建造物も見事でした(写真)掘り模様を間近で見られるので小さい神社ですがゆっくり長く楽しめます。あまり知られていない穴場スポットとしてとても良いかと。ただ駐車場がないので砂利道に路駐し少し歩きます。景色がよく静かなので歩くのが好きな人には最高かもしれません。2026年1月3日昼時間に伺ったところ、10人ほどの参拝人が集まっていました。地元の人かは分かりませんが本当に穴場だなーと感じました。
天日鷲命を御祭神とする神社で、第61代・朱雀天皇(923~952年)が平将門の乱(承平天慶の乱/935~941年)調伏を勅命、それを受けた天台宗第18代天台座主・良源(諡号:慈恵/尊称:慈恵大師・元三大師/794~864年)が平安時代の承平7(937)年7月7日に創建したとされる由縁と検使(実検使)が当地で休息した際に飛来してきた鷲鳥が奇異な形状だったことから鷲を祀るように命じられて創建したとされる2つの由縁が伝わります。室町時代の応永年間(1394~1428年)には火災により由緒書を焼失、江戸時代後期の天保15(1844)年に本殿を造営、大工棟梁が立石菊右衛門藤原元隆(現・八千代市下高野)、丹羽国大江山(現・京都府福知山市)に伝わる『大江山鬼退治・酒呑童子退治』伝説を題材とする本殿胴羽目及び柱の卓越した圧巻の装飾彫刻が上野国勢多郡花輪(現・群馬県みどり市)の彫工・星野理三郎政一とされます。本殿東側脇には、明治政府が明治元(1868)年に発出した法令・神仏分離令によって廃寺となった当社別当寺の鷲王山鷲福院正覚寺(真言宗/稲野山千手院金剛盤形寺[佐倉市井野]末寺)が、現在も『正覚寺廃寺跡地』として継承されます。ここ跡地には、江戸時代中期の享保10(1725)年造立とされる像高115cmの御本尊の地蔵尊(地蔵菩薩立像)が残っており、台石正面に「阿闍梨権大僧都法印宥惠」、右面に「法如妙應優婆夷清室優婆夷 他7人の名」と「持齋講中十七人敬白」、左面に「孤山林照比丘尼 他7人の名」と「享保十乙巳(1725年)十月末日先崎村」が刻印され、優婆夷(女性在家信者)や優婆塞(男性在家信者)が記されていることから、出家信者に留まらず在家信者の名もここに記されていることを現在に伝えています。境内には、当社別当寺正覚寺が隆盛を極めていた江戸時代後期の天保15(1844)年に造営された本殿が、『鷲神社本殿』として佐倉市の有形文化財(建造物)に指定され、正覚寺住職で権大僧都法印・定宥が建立主となり、江戸・深川の石屋五郎兵衛に発注して江戸時代前期の寛文13(1673)年に建立された市内最大級(台石から笠木までの高さ3.88m・笠木幅5.77m)の明神式石鳥居が『鷲神社の鳥居』として佐倉市の有形文化財(建造物)に指定され、昭和9(1934)年と平成10(1998)年建立の社号標、明治31(1898)年と令和4(2022)年建立の狛犬、江戸時代後期の文化5(1808)年と文政3(1820)年建立の石灯籠(常夜燈)が奉納されます。また、境内に自生する樹高16m・目通り幹囲6.3mのケヤキの古木は、承平7(937)年の当社創建時に植樹されたと考えられる御神木で、『鷲神社のケヤキの大樹』として佐倉市の天然記念物に指定され、幹の北側部分に応永年間(1394~1428年)の火災による焼損の痕跡が残り、火災の折に枯死したものとされます。『先崎鷲神社の神輿及び神輿渡御』として佐倉市の民俗文化資産に指定される当社神輿は、江戸時代後期の文化元(1804)年に製作され、屋根に葵、装飾に菊花・巴・卍の紋章が見られるなど、華やかさの中にも荘厳さを持ち合わせています。境内社として、三峯神社(御祭神:伊邪那岐神/伊邪那美神)・子神社(御祭神:大己貴神)・神明神社(御祭神:天照皇大神)・淡嶋大明神(御祭神:少彦名命)・金刀比羅宮(御祭神:金山彦命/嘉永4年)・疱瘡神(ほうそうの神/御祭神:大己貴命)・うぐいすの碑が鎮座、明治維新後の近代社格制度において村社に列格された先崎地区の鎮守神です。先崎地蔵尊方面から緩やかな坂道をのぼり、社号標の分岐を右に進むと駐車スペースと『正覚寺廃寺跡地』があります。
付近の介護施設に入所していた父の見舞いに行った際に正月はこの神社に職員さんの付き添いでお参りさせていただいたと聞いて後日お参りにうかがいました。1000年以上前の平安時代半ばに創建されたとつたわる神社。「せんざき」ではなく「まっさきわしじんじゃ」です。本殿・鳥居・ケヤキと1000年の歴史の流れを感じられるようななんとも古風かつ威厳のあるたたずまい。本殿の彫刻も見事なものでした。後で調べたら江戸時代に作られたものでしたが、歴史を感じることに違いはありません。お参りしてよかったです。
創建は承平7年(937年)御祭神は天日鷲命新撰佐倉風土記によれば、平将門の乱を調伏するため、朱雀天皇の勅命を得て、承平7年(937年)慈恵大師(良源・元三大師・第18代天台座主)が当地に来て創建したと伝わります。境内のケヤキの大樹は当社開創と共に植えられたものと推定されます。境内は広く静かで管理されている方が掃除をしており、地元の方々に大事にされているのが伺えます。駐車場は境内右側に何台か駐車できます。
鷲神社の開創は「佐倉風土記」によると「承平七年(九三七)七月七日、慈恵僧正、朱雀帝の勅を奉じ、来りて此の神を祭る」とあります。本殿は、天保十五年(一八四四)建立されたもので大工棟梁は立石菊右衛門藤原元隆(八千代市下高野)、柱や本殿四面の彫刻は星野理三郎政一(群馬県勢田)の手によるもので、「大江山鬼退治」を題材としています。建立にあたっては、近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったもので、神社に対する信仰の広がりがうかがえます。鳥居は、寛文十三年(一六七三)定宥が建立したもので、作者は深川の石屋五郎兵衛です。鳥居の形式は明神式で、石造の鳥居としては市内では比類のない大きなものです。境内にあるケヤキ(ニレ科)の大樹(樹高十六m 目通り幹囲六・三m)は、当社開創と共に植えられたものと考えられ、応永年間 (一三九四~一四二八)の神社の火災により被害を受けた形跡があります。市内においてはこのような古木は珍しく、学術上からも貴重な資料といえます。【現地案内板より抜粋】とにかく、本殿の彫刻が素晴らしいの一言。星野理三郎政一は、東照宮の眠り猫の修復にも携わった人らしく、こちらで初めて知りましたが、逆に他であまり見られない分、一見の価値有りかと思います。
先崎鷲(まっさきわし)神社は新撰佐倉風土記によると、創建は937年とあり、その後の詳しいことは不明なことが多い神社です。現在の本殿は1844年に造営されたもので、今も見事な彫刻を見ることができます。本殿は佐倉市指定有形文化財になっています。
木鼻、獅子鼻、獏鼻、柱の龍、素人の私でも感動する彫刻です。凄い!神社に至るまでは、道が狭いので、注意が必要です。20200927に参拝しました。蚊🦟がたくさんいたので、写真撮影も大変でした。
2021/05/04に行きました。神社とかはあまり詳しくないですが敷地内はなかなか広かったです。入口、鳥居も立派で、緑も多くでかい木もあり凄く神秘的でした。本殿?の彫刻もかなりしっかり彫られていて管理はされてそうな感じでした。私が行った時偶然にも琴を演奏してる方がおり、神社の雰囲気と相まって良い経験ができました。定期的に来ているかはわかりませんがね。
先崎鷲神社:まっさきわしじんじゃまっさきと読めませんでした。すごい静かで本殿がすごい彫刻です。南無の郷霊園から向かう道は、ものすごく狭いです。ユーカリが丘側から向かった方が広いと思います。駐車場は、鳥居正面から右に狭い道を進んで左に停められます。彫刻のすごさには、感嘆しか出てきません。社務所は、ありませんが、パンフレットが、郵便受けのような箱に入っていていただけました。気持ちが落ち着く神社です。
| 名前 |
先崎鷲神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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彫刻に吸い込まれそうです柱に圧倒されますが、壁面にもたくさんの彫刻による物語が表現されているんですかね3面とも違います。