桜とバラに包まれた城跡散策。
国府台城跡の特徴
国府台城跡は里見公園内にあり、桜やバラが魅力的なスポットです。
周囲の緑豊かな環境と歴史的背景があり、のんびり散策を楽しめます。
無料駐車場が完備され、家族連れにも最適なアクセスが魅力です。
千葉氏や里見氏、後北条氏の領地争いの舞台となった城跡で小田原征伐後に江戸を見下ろす城という事で関東に入封した徳川家康により廃城になったと言われています。年代別の遺構が残り、かつては前方後円墳であった古墳を利用した土塁や櫓台、空堀を利用した遊歩道、戦前にあった里見八景園のプール跡等が残っています。今は桜の名所として多くの方の憩いの場の里見公園として利用され、平日はゲートボール場で元気にスポーツされる方も多いです。公園内には茶屋や軽食屋さんもあり、おでんにアルコール等素晴らしいメニューも豊富。旧日本陸軍の防空壕設置によりかなり城跡は改修されてますがかつて前方後円墳だった二重土塁や中央に堂々と鎮座する櫓台が目を見張ります。目立たない場所に案内板があるので、もうちょっと案内板が分かりやすくなると良いですね。遺構の保存に尽力願いたい物です。
北条氏と里見氏の合戦があった史跡です、跡地は里見公園となっておりバラ園がありました。公園内には展望台、お花見広場、軽食を出している売店がありました。最寄バス停は国府台病院前です。
さくら🌸のある城跡巡り🏯で訪れました👍桜見と公園としての子連れの方で賑わっていました😄駐車場が川沿いまで下りないといけないのが、難点ですね~
桜が満開でした!前日の大風にも負けず元気に頑張って咲いていました。
里見公園は四季折々のお花が咲いてます。すぐそばには江戸川の河川敷もあるので子供が小さな時にはよく行きました。春になるとさくらが満開でお弁当持ちのお散歩の人がたくさんいます。今回は雨がとてもいい香りでした。
北条氏康と里美の激戦地だが、いまはのどかにガーデニングされており、とても平和な感じです。本丸跡は花畑になっていました、、しかし周りを歩くと大きな川と急な斜面に囲われており、立派な平山城だったことが想像できます。
里見公園全体が城跡だったのでしょう。石垣が何ヶ所か見えます。その頃のものなのでしょうか?
国府台城跡のある里見公園は里見義弘が小田原北条氏を迎え撃った古戦場です。城跡の遺構は空堀、土塁が一部残っていますが、めぼしいものはありません。土止めの石垣ももちろん公園化されたときのもので、ちゃんと説明版に書かないと、戦国期のものと誤解されますね。投稿写真でも石垣の写真が多数ありますね。それなりに古格のある石組ですが、史跡としての価値はありません。第2次国府台合戦では里見氏は大敗して一族の里見広次や重臣の正木大膳ら多数の家臣が戦死したとされています。公園内には里見軍将士の供養塔が後世のものですが3基建っています。この戦いで里見氏は下総の大半を失い、ほぼ安房一国を領有するのみとなりますが、その後はやや勢力を挽回し、名門里見家の家名をよく保ちました。常陸の佐竹氏、下総の結城氏と共に北条氏の関東経略に抵抗して生き残った数少ない大名です。第2次国府台合戦の詳細な経過は一級の史料が皆無で、江戸時代中期成立の「関八州古戦録」などの軍記物に書かれているだけで、正確にはほとんど何もわかっていません。ここの説明版ももちろん信用できる史料に基づいたものではありません。里見方の死者5000人は全くありえません。里見方の動員兵力はせいぜい数千人ですから、全員討死したことになってしまいますね。里見広次や正木内膳の名も「江戸名所図会」などに見られるのみで実在を証明できません。後世の諸書に書かれた内容が全く同じですから、ネタ元は一つでしょう。また「正木内膳」ではなく「正木大膳」が正しいと思います。
すっかり公園になっています。奥の方に切りとうし、空堀らしきものはみうけられ、お城と関係ない石碑の元に石垣がありますが、多分違う時代の物だと思われます。地形だけは川沿いの崖の上で城跡の雰囲気はあります。
| 名前 |
国府台城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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国府台城は太日川(現在の江戸川)と坂川の合流地点に築かれた戦略的要衝にある城で、太田道灌の弟・太田資忠によって築かれました。北条氏と里見氏を中心とした勢力による国府台合戦の舞台としても知られ、度重なる争奪戦が繰り広げられました。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐後に廃城となりました。現在、城跡は「里見公園」として整備されており、桜の名所としても有名で、堀切や空堀、土塁跡、櫓台などの遺構が良好に残っています。