赤山陣屋跡で歴史探訪。
赤山城(陣屋)跡の特徴
赤山陣屋跡は伊奈忠治が築いた歴史的な名所です。
利根川東遷や荒川西遷に関与した伊奈家の遺構です。
履歴を感じる赤山陣屋跡で歴史にふれあえる体験ができます。
川口市にある赤山城(赤山陣屋)跡越谷市内の旧日光街道より、赤山街道という道がここまで昔はつながっていた。 現在もほぼ赤山街道が残っています。 越谷市内には、赤山街道にちなんだ地名が残っています。
イイナパーク周辺の地図を見ていて、気になったので行ってみましたイイナパークから徒歩5分くらいで行けます専用駐車場もありますが、この日はナビでは辿りつけませんでしたこの辺りの水路を整備した伊奈氏の居城跡だそうですお堀跡が3箇所ほど、二の丸があった場所なのでしょうか、古墳のように土がこんもりしているところもありました全体的に木陰で涼しく、新緑が綺麗でしたGWでしたが、人も疎らでのんびりできました。
赤山城跡地公園。よく整備された歩行路となっており、自然も多く楽しく散策できます。東の入り口には駐車場もある為車で行くことも可能です。
埼玉県指定旧跡、江戸幕府にこの地を与えられた伊奈氏の陣屋の跡で現在は公園として保存されています。公園内を貫く3本の空堀は当時は5メートルの深さがあったと言わており見事です。埼玉高速鉄道の新井駅から約20分とアクセス良好、桜の名所でもあります。
「城(陣屋) 探究」◉陣屋 赤山陣屋 📍埼玉県川口市江戸幕府の代官頭として10代に渡り、約30万石の領域を治めていた居館「赤山陣屋跡」を探究しました。8時1分に赤山陣屋周辺を探究しました。🏯赤山陣屋☆分類・構造陣屋☆築造主伊奈忠治☆築造年元和4年(1618年)諸説あり☆主な陣主伊奈氏☆主な改修者なし☆廃止年寛政4年(1792年)☆沿革徳川家康の家臣として武蔵小室藩の初代藩主であり、関東郡代(代官頭)を兼任し治水や新田開発などで江戸幕府に多大なる功績を残した「伊奈忠次」の次男「伊奈忠治」が築造したとされています。この後12代「忠尊」が寛政4年(1792年)に改易され廃止になるまで10代に渡り、163年もの間、伊奈氏が治めていたとされています。東西約1.6Km、南北約1.7Km、本丸と二の丸の部分だけで約11,000㎡、南側にある家臣屋敷や源長寺、東側にある山王三社などを含めると約77,000㎡もある広大な敷地となっています。低湿地を利用した自然の外堀と本丸周辺の深さ5〜6m、上辺の幅9.5m程の内堀で守られた強固な防衛設備を持っていた。☆周光山 勝林院 源長寺伊奈忠次が当地にあった古寺を再興し、元和4年(1618年)伊奈氏の菩提寺として創建される。境内には4代「忠克」以降のお墓がある。5代「忠常」が建立の頌徳碑には「忠次・忠政・忠治」の業績が刻まれている。☆赤山日枝神社(山王三社)陣屋空堀堀削時の廃土で築かれたと伝えられている🏯山に鎮座、陣屋内にあった八幡社と天神社が合祀されている。◉感想埼玉県道161号越谷川口線から専用駐車場がある道への入口がわかりづらい上に道が狭い。コンパクトカーサイズであれば余裕がありますがワンボックスカーだとちょっと狭い道です!赤山城跡見学者専用駐車場は10台以上停める事ができるスペースがあります。赤山陣屋跡は「赤山城址碑」がある本丸が中心地点となっており、「北堀・東堀・南堀・西堀」と本丸の周りをぐるりと内堀に囲まれています。本丸西側には「二の丸」東側には「山王三社関連神社」とがあり、探索路が整備され所々に説明板やベンチなどもあるので散歩コースとしてはとても良い環境です。南側へと少し足を伸ばせば伊奈氏菩提寺である「源長寺」となります。内堀や土塁など復元された物も多いですが現存している内堀もまだ残っていますし関連する神社やお寺を巡りながらゆったりと探究する事ができました。ありがとうございました。◉所在地埼玉県川口市赤山字陣屋敷◉アクセス🚊埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線/戸塚安行駅出口1から1.2Km、徒歩18分位。
当地の偉人・伊奈忠治が築いた赤山陣屋の遺構です。伊奈忠治がどのような人物であるかの説明は割愛します。赤山陣屋とは、当地の代官であった伊奈忠治が、幕府から与えられた土地の上に築いた大規模な陣屋です。赤山城と言われることもあるようですが、江戸時代において、陣屋とは郡代や代官が支配するための拠点の事を指すようなので、「城」という言葉を用いて良いかは微妙な所です。赤山陣屋は東西1600m、南北1700m。低湿地や沼田を外堀として利用し、その内部を人工的な空堀と土塁で囲い、家臣の土地と伊奈家の菩提寺である源長寺を始めとした周辺の寺社仏閣を含めると77万k㎡にも及ぶ実に巨大なものであったとされています。ここを拠点に武蔵国東南部の開発が行われていましたが、開発が一段落すると、業務の大半は江戸の屋敷で行われるようになり、赤山陣屋にいたのは当番で赴任した家臣と、地元の名主から選ばれた下級役人であったそうです。伊奈忠治はともかく、それ以降の伊奈氏は基本的に陣屋には不在だったようですね。ちなみに、伊奈氏は当地の代官職を世襲しますが、忠治から10代目の忠尊が、不行跡を咎められて失脚。所領没収の上に赤山陣屋は破却されてしまいました。忠尊の失脚は伊奈家の権勢が増大していくのを快く思わない幕閣の思惑があったと言われています。しかし、受け入れられはしなかったものの、領地であった村々から忠尊赦免の願書を提出されていることから、領民の支持は強かったことが伺えます。現在は陣屋を構成していた建物は残っていませんが、遺構が整備されており、陣屋の姿を少しでも想像できるようになっています。今も生活道路として利用されている道もあるようで、伊奈氏が現在もこの地域を支えていることが分かります。川口市は工業都市のイメージが強かったのですが、この周辺は田畑が広がっており、のどかな風景を見ることができます。伊奈忠治の事は恥ずかしながら、ここを訪れて始めて知りました。伊奈氏の菩提寺であった源長寺を訪問できなかったのは少し心残りではありますが、どんな土地にも色々な歴史があり、様々な人たちのドラマが詰まっていることを感じました。
水道(というか水利灌漑)好きとしては親愛の情を覚えずには居られない利根川東遷、荒川西遷の立役者伊奈家の陣屋跡。綺麗に整備されてる割には、追加的な設備がとても少なくて極めてストレスレス。新緑が眼に嬉しい。
伊奈氏の陣屋跡。先代伊奈忠次の陣屋は伊奈町にあったが子の忠治はこの地を拝領するとここに陣屋を築いた。赤山城があるのは川口低地に突き出た岬の如き形状の安行・鳩ヶ谷台地。陣屋を囲む堀共々相当な防禦効果が期待できる場所となっている。同じく重要なのが見沼溜井を堰き止めている八丁堤に至近の場所ということ。治水工事を差配するのに丁度よい場所であったのだろう。赤山城には見学者用の駐車場が用意されており車で来たなら容易に見て廻れるが電車利用だと駅から相当歩くことになる。見学ルートは駐車場から堀に沿って西進、途中で北へ曲がり首都高環状線の見える北西端で終了となる。ルートの内部は私有地なので入れない。陣屋としての見所は堀と赤山日枝神社くらいだがそれよりも遊歩道に面した樹木が動物の姿に剪定されているのを見てほしい。ディズニーの世界に迷い込んだかのような景観です。
| 名前 |
赤山城(陣屋)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/center/bunkazai/CulturalProps/bunkazai_002.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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赤山城(陣屋)跡埼玉県の指定文化財(旧跡)江戸時代初期の平城・陣屋の跡地…江戸幕府を支え 利根川の東遷や 荒川の西遷などの"大土木治水事業"を成し遂げた江戸時代"四大郡代の一つ「関東郡代」の伊奈氏の拠点であった所です。赤山城跡を拠点とした 伊奈氏代々のお役目は 関東地方の天領( 約三十万石)を広く支配し直轄する事でした。後に 忠治から数えて十代目の"忠尊の時代"…寛政4年(1792年)まぁ〜 色々な事が重なり "一説には御家騒動ではないか?" により 公儀の耳にも入り知ることに成り…屋敷や領地の全てがお召し上げに成って仕舞い お役御免と成りました。