歴史香る府川城跡へ。
布川城跡の特徴
除夜の鐘を打つ徳満寺へのアクセスが便利です。
布川城までの道のりは栄橋を渡るとすぐです。
駐車場も近くにあるため訪れやすいです。
徳満寺が本丸跡、金比羅神社が馬出曲輪跡、町役場が二の丸跡です。土塁、土橋、空堀が良好に残っています。関連の来見寺・布川神社も徒歩圏内。御城印はすぐそばの「酒のたかつや」で購入できます。
毎年年末から年明けにかけて、除夜の鐘をうちに徳満寺にいっています。除夜の鐘をうつと、その年の干支の御札がもらえてうれしいです。おみくじをひいて、お守りも買ったあとは、奥のお寺におまいりにいくと、日本酒がもらえ、さらにやくをおとしてもらえます。最後にみかんをもらっておわりです。
布川城跡と近くに保育園が有りました。
(ふかわじょう)は布川豊島氏の居城で、小田原征伐後の北条氏滅亡後は関東に入府した徳川家康の古参である松平信一が在城、佐竹氏に備えました。城の縄張りは広大で日本ウェルネススポーツ大学辺りまでが城域となり、主郭跡に徳満寺が移転しました。二の丸跡には利根町役場が建っています。主郭跡には馬出し、空堀、土塁が残り櫓台跡には墓地が広がっています。この辺りは多くの歴史が詰まる場所なので外郭部を歩くと約5キロ。神社やお寺を見ながらちょっとした史跡巡りには良い散歩になります。駐車場は利根町役場駐車場を利用しました。近くには桜堤もあるので桜の時期にはオススメのスポットの一つです。駐車場は無料開放され、花見客で賑わいつつも役場のトイレが利用出来るので助かりますが、個人的には多少なりとも料金を払っても良い気がします。自販機も役場内にあります。
茨城県の布川城まで行ってきました。こちらのお城はご城印があるということで、先にご城印が売っているお菓子屋さんに寄って購入します。布川城と布佐城のご城印が売っていました。そこから近くにある徳満寺に向かいます。ここが布川城の場所です。布川城址の石碑もあり、説明文もありました。この辺は豊島氏の領土だったようです。豊島氏は石神井城を中心とした領土を持ち、豊島園や豊島区の名前の由来となった家柄ですが、その親族のようです。ここまで領土を広げているとはすごいですね。今は立派なお寺に変わっていました。
栄橋を渡ってすぐ左曲がると駐車場に入れます。すぐ近くに幼稚園がありました。少し山のようになっていています。土塁がはっきりとわかります。急な斜面であり城の裏側は竹が生えてましたのでしっかり見えませんでした。駐車場の入り口が少し坂になってますので車高が低い車は要注意^ ^
東京都豊島区の周辺を支配していた平安時代以来の武家の名門、「豊島氏」の一族である府川豊島氏がこの布川城(当時は府川城)を本拠地にしていたようです。とはいっても支配地域は7000石程度の国人クラスの領主で、大名と呼べるほどではありませんでしたが。もっとも「北相馬郡志」によると鎌倉時代に摂津からやって来た豊島頼保が城を開いた、とあるので全く別系統の大阪弁をしゃべる一族だった可能性もあります。(笑)府川豊島氏は独立して周囲の大名と戦えるほどの規模はなかったので、戦国時代には後北条氏の集団安全保障システムの傘下に入って軍事経済面で支援を受けることになりました。その対価として後北条氏拠点で佐竹氏への最前線である牛久城に、警備の人数を出していたことが文献から分かっています。そんな流れで豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏方として小田原城に兵を出して共に籠城し、共に滅んで当主は高野山に追放されたとの事です。その城跡に置かれたのが現在の徳満寺で、土塁や空堀が現地に残されています。城は南に利根川を見下ろす比高15mの高台に築かれていて、本曲輪跡は徳満寺境内となっており東西100m、南北60mほどの広さがありました。本堂の周りはぐるりと土塁で囲まれていて、難攻不落のお寺と言えるでしょう(笑)。金毘羅堂がある境内の西側には、深い空堀と土塁で本曲輪から切り離された「馬出」が存在し、この城の最大の見どころとなっています。ただ馬出というものは、兵を迅速に出撃収容させるための設備なので通常は方形か半円形をしているのですが、ここのは妙に形状が細長すぎるうえに二の曲輪があった利根町役場方面とは高低差もかなりあって、本当に馬出として機能したかは疑問です。何か他の目的で作られたか、利根町役場駐車場を作る際に削られ形状が変わってしまったかのどちらかだと思われます。それにしても府川豊島氏本家滅亡の過程は(弟の家系は残った)北条氏という巨大企業に依存する中小企業が連鎖倒産したようなもので、他にも千葉氏や毛呂氏などの鎌倉以来の名家もこれに巻き込まれています。今も昔も中小企業の運営が難しいのは変わらないようですね(笑)。
2020/12/27豊島氏が没落した後、寺をこの地に移したらしい。大河と切り立った崖に守られた要害。特に金比羅神社と徳満寺の間が素晴らしい。金比羅神社の石段を登ると左手に鋭い切岸が見える。神社は馬出しのようであり、寺との間を深い堀切で断ち切られ、土橋で繋がれている。土橋を渡ると左手は櫓台のようであり、右手は土塁がある。ここを渡るには櫓からの一斉射撃を受けることになる。この土橋にいるだけで、ワクワクする。土橋の左手は堀底に降りれるようになっている。寺には立派な石柱や案内板もある。
| 名前 |
布川城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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利根町指定史跡府川(布川)城跡野口如月の『北相馬郡志』によれば,府川は,寛元二年(一二四四)摂津の人, 豊島頼保がこの地にきて開いたと記されています。その後の,永正一六年(一五一九)に豊島氏は附近の村々を領し、台上に城館をつくり,小田原の北条氏につきました。また、豊島頼継は、永禄三年(一五六〇) 二月十一日に頼継寺(現在来見寺) を開基し七月二十一日には寺領を寄進しています。府川は佐竹街道・鎌倉街道の要衝であるとともに、戦国時代には関所を設け水陸の交通を監視するなど軍事上の重要な拠点でした。しかし、豊島氏は天正一八年(一五九0)に豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻める際,忠節をつくすため不利である北条側につき共に敗れてしまいます。当時の府川城主豊島氏は北条氏直とともに高野山に入ったと伝えられています。豊島氏の墓は現在 菩提寺である来見寺にあります。【現地案内板より抜粋】現在の徳満寺敷地が布川城跡の本丸に当たります。利根町役場駐車場側から上がる谷筋の道は、本丸と馬出し郭の間の空堀と知らず登っていました。金毘羅神社が鎮座されているのが馬出し郭、利根町役場が二の丸。そこまで敷地は広くないものの、利根川に守られ、周囲もそれなりの高さの崖に囲まれている為、堅固な守りの城であったと思います。