平安の歴史を感じる花山城。
粟生城跡の特徴
平安末期に築城された花山城の歴史を感じられます。
駐車スペースが見つけにくく、訪れるのが一苦労です。
地形が小高い場所に位置し、隠れた魅力があります。
八幡神社と地域のお墓以外はなにもない土砂採取場へと続く階段もあるがほぼ朽ちかけているので使わないほうがいいだろう地形的にはたしかに小高くなっているものの説明されなければわからないほど手が入ってしまっている駐車スペースも見つけられなかった。
| 名前 |
粟生城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
2.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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平安末期、豊浦左近少輔光実が築城した当初「花山城」と呼ばれた。鎌倉時代になると鹿島宗幹の次男幹実が入部して当城を鹿島の南の護りとして改修し居城とした。以降、粟生氏を称したことから城名も「粟生城」と呼ばれるようになった。その後、出城として築城した石神城(神栖市)に一族の石神氏を置いたが、弘治4(1558)年に両者の争いが起こり、共に滅亡した。台地上の大規模な城郭であったが、戦時中に神之池海軍航空基地の建設のため表土が運び出され、また昭和50年頃からの鹿嶋開発で残る土砂も採取され、中心部と南部が削り取られた。わずかに北部に残る八幡宮(八幡神社)と平光寺とお墓が開発を押しとどめている。最後の写真は平光寺境内の端から北方を見下ろしたもの。長大な鉄階段が下に延びていたので降りてみようかと思ったのですが・・・グラッ!命あっての物種ですぞ。「歴史にも その名は高き 粟生城」(高松かるた)