常陸利根川橋梁で絶景撮影!
JR鹿島線 常陸利根川橋梁の特徴
常陸利根川橋梁からの絶景は息を呑む美しさです。
美しい景色を背景にした写真が撮影できます。
自然の息吹を感じることができる隠れた名所です。
絶景撮影ポイント。
晴れれば結構な撮影地。曇っていると川が暗くなって微妙です。川には釣りの方やモータボートを乗り回している方もいて賑わっています。臨時のあやめ号を撮影しました。
景色が綺麗です。JR鹿島線の撮影ポイントです。
| 名前 |
JR鹿島線 常陸利根川橋梁 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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常陸利根川橋梁は、昭和45年(1970)に開通した長さ240.2mの橋梁です。鹿島線は、静かな水郷地帯に昭和40年代の国鉄最先端技術が完全に溶け込んでいてした。鹿島線は昭和40年代の日本の命運をかけた、超高規格の産業大動脈として造られた路線です。全線にわたって「ほぼ踏切ゼロの完全立体交差(高架)で、水郷の広大な水面を長大な橋梁で一直線にぶち抜いています。1960年代、茨城県の開発によって一大重化学工業拠点が鹿島に誕生しました。ここから生み出される莫大な鉄鋼や石油製品、臨海部へ運び込む資材を、「超重量級の貨物列車」で毎日何本も、スピードを落とさずに東京方面へピストン輸送する必要がありました。重い貨物列車が踏切で車と衝突事故を起こせば、日本の産業が止まってしまいます。そのため、新幹線並みの思想で踏切をなくし、カーブを緩くし、線路を一直線にして、将来の複線化にも対応できるコンクリート高架橋を延々と並べたのです。香取を出て利根川を渡り、高架化された十二橋、潮来、延方へと加減速なく滑らかに駆け抜けるあの乗り心地は、昭和40年代の土木技術の結晶です。現在の「鹿島サッカースタジアム駅」(旧・北鹿島駅)とその周辺の広いスペースは、貨物ヤード(機関車の交換や貨車の組み替えを行う操車場)として機能していました。臨海鉄道の心臓部神栖駅は鹿島臨海鉄道の車両基地や、貨車がずらりと並ぶ広大なヤードがあり、化学工場などから出荷される液化エチレンや石油類、コンテナなどの貨物を集約していました。重化学工業地帯から出る貨物は、鉄鋼や大量のケミカル(化学製品)です。これらを首都圏(東京)へ運ぶ際、道路網がまだ未発達だった昭和40年代前半、鉄道にかけられた期待は破格でした。鹿島から東京へ向かう最短ルートとして、国鉄は成田線(我孫子〜成田〜松岸)の一部を大改良し、そこから分岐する形で鹿島線を新設しました。1978年の成田空港開港に際し、空港で使用する膨大なジェット燃料を、鹿島の製油所から成田空港まで鉄道でピストン輸送(パイプラインが完成するまでの暫定措置)してました。環境負荷の少ない鉄道を使ってコンテナや化成品を首都圏へダイレクトに運べるこのルートは、高度経済成長期に造られた遺産でありながら、実はこれからの人手不足時代に最も必要な最先端の物流インフラとして見直されるかもしれません。当時とことなり東京駅に貨物列車は入れません。鹿島臨海鉄道から成田線・我孫子を経由し、常磐線から武蔵野線へと入り、三郷駅周辺と府中本町周辺なら陸送に乗せ換えるヤード確保可能かもしれません。そんなこと考えて橋眺めてました。