深谷の畑に潜む弾薬庫。
東京第二陸軍造兵廠深谷製造所櫛引工場跡(櫛引の弾薬庫跡)の特徴
昭和18年に東京から移転した弾薬庫跡です。
農家の畑に囲まれた独特な雰囲気を持っています。
外から眺めるだけでも感じる歴史的な魅力があります。
2026.06.06旧陸軍の弾薬庫だそうですが、今となってはただのコンクリートの塊と化してます。このまま朽ちていきそうです。周囲は畑なので、私有地にあるのかもしれません。
広い畑のなかにぽつんと異様な廃墟が建っています。農道に車を停めて入ってみました。建物以外何もありませんが、これが戦争時の弾薬庫の遺跡と思うと、周辺の平和な日常もいつ破壊されてしまうのか、不安な思いに駆られます。戦争はこのような空疎な廃墟しか残さないのだと思います。日本の未来がこうならないように祈りたくなりました。
爆弾庫が深谷にもあったのか?熊谷空襲もありましたからねー。
見るからに頑丈そうなコンクリート造りの外観。傾くことも崩れることもなく令和のいまもそこにありました。中まで入り2階まで上がれそうでしたが、明らかに私有地だったため畦道から眺めるだけにしておきました。
深谷名産 深谷ネギ畑の中にポツンと建っている姿が奇妙でインパクトがある。 周りは私有地(畑)なので、止めて良いのかわからないが泥濘んだ細い農道に寄せて止めるしかない。建物の詳細はネットで調べれば直ぐ出るので省くが、この建物は弾薬庫。当時の若い兵隊さんがここに出入りしていたと思うと、胸が熱くなる。天井は朽ち果て、ただのコンクリートの塊と化しているが、階段も壊れてなく、2階まで行けるのがうれしい。
古い建物が好きなら是非行ってみてください。早朝に行った。ヤベっ、無断で入ってしまった。2022年12月。
私有地だと思うのでご注意ください。剥き出しになったコンクリートは当時から風化している状態の旧弾薬庫です。歴史が感じられます。正式には「東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所跡」と言うそうです。造兵廠(ぞうへいしょう)は、武器・弾薬などの設計・製造・修理などを行い、その蓄積のために使われる軍隊直属の兵器など精密工学の生産に用いる工場および機関のようです。
農家さんの畑の敷地内にあるので、直接立ち入ることは出来なそうですが、道路から眺めるだけでもなんとも言えない雰囲気がありました。戦争時代の現存する建物が今後も残され戦争の悲惨さを忘れない事を願います。
この廃墟の建物は、大戦中昭和18年(1943)頃に空襲を避けるため、東京板橋からこの地に移転してきた、東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所の弾薬庫跡だそうです。現存はこの一棟のみですが、東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所は広い敷地だった為、敗戦後開拓地として田畑となっています。ちなみに、高度成長期前後の70年代にこの辺にあった、それらしい建物のモノクロ写真も投稿してみました。
| 名前 |
東京第二陸軍造兵廠深谷製造所櫛引工場跡(櫛引の弾薬庫跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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