山中温泉の大岩、信仰の名所。
御簾滝観音岩の特徴
福井県から山中温泉に入る際に目に入る壮大な景色です。
採石場にそびえる、観音様に似た大岩が魅力的です。
こんな素晴らしい名前の観光名所をぜひ訪れてほしいです。
福井県から県境を越えて山中温泉側に入る時に目にする岩。石川県に入ることを実感させる。
採石場にそびえる観音様に見える大岩。山中温泉から坂井に下る途中のトンネルを出た所に見える。橋の上から見えるが、駐車場も無くトンネルとカーブがあるため観覧するには注意が必要です。
観音様のようにも見える大きな岩です。
以前から気になっていた所で、こんな素晴らしい名前が付いているとは知らなかったです。ただし道路沿いからしか観られないので注意が必要です。
| 名前 |
御簾滝観音岩 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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御簾滝観音岩は、加賀市山中温泉大内町の山間にそびえる巨大な岩で、蓮如上人が隠れたと伝わる洞窟「般若窟」周辺の信仰伝承と結びついた場所として知られている。文明年間の末、浄土真宗中興の祖とされる蓮如が、越前国の吉崎御坊での布教活動中に白山信仰系の天台宗寺院から追われ、加賀国との国境を越えて大内峠を下ったと伝えられる。このとき、蓮如は山中の大内村で「おさよ婆さん」と呼ばれる老女に出会い、助けを求めたという。婆さんは蓮如を藁で編んだ筵に隠して追手から逃れさせ、その後、大内谷川上流の岩窟に案内した。蓮如はしばらくの間その洞窟に身を潜め、婆さんは一日三度の食を届け続けた。さらに、足跡で洞窟の位置が知られぬよう草鞋を逆向きに履いたという話も残る。やがて蓮如は加賀南部で布教を再開し、この地の住民は一向宗に帰依した。伝承では、蓮如が去る際に六字名号の書付をおさよ婆さんに手渡したとされ、それは後に地元の信仰の証として伝えられるようになった。この故事が語られる現地の洞窟は「般若窟(はんにゃがいわや)」と呼ばれており、幅約27メートル、高さ6メートル、奥行き10メートルという自然形成の空間である。その洞内の岩壁には、人がもたれて座ったような形の凹みがあり、これを蓮如が寄りかかっていた跡と伝える。実際に中を訪ねると、蓮如の石像がひっそりと安置され、信仰の場としての空気を今も残している。洞窟のすぐそばには簾滝(みすたき)と呼ばれる滝があり、断崖から薄く簾状に落ちるその水流の姿から名が付けられたとされる。滝の落差は諸説あるが、最大で約17メートルとされ、断層崖の上部から段階的に水を落とす構造になっている。この滝の対岸にあたる山手に、観音岩と呼ばれる奇岩がそびえている。岩の表面の風化や割れ方が、観音菩薩の立ち姿に似ているとの言い伝えがあり、「御簾滝観音岩」という呼び名が広まった。実際に観音の姿を識別するのは容易ではないが、地域では昔から霊験あらたかな岩として知られていたようである。岩そのものの名称がいつ頃から使われたかを示す文献は見つかっておらず、比較的新しい俗称と考えられる。現在は公的な文化財指定は受けていないが、周辺の伝承地と一体となった信仰圏の中で語り継がれてきた。御簾滝観音岩の周辺には、この蓮如伝承に関わるいくつかの史跡が点在している。とくに徳性寺は、おさよ婆さんの子孫や地元の門徒が建立したと伝えられ、蓮如ゆかりの寺とされている。寺の山号「西谷山」は、蓮如が隠れた西谷の地名と重なり、地域の信仰の中心であったことがうかがえる。また、山中温泉滝町付近には、一向一揆の時代に門徒方の拠点とされた赤尾の集落があり、そこにあったとされる南郷城は、1555年に藤丸新介らが朝倉氏と戦った際の戦場とも伝わる。現在では城跡の痕跡はほとんど残されていないが、一向宗の勢力がこの地域に根を下ろしていた史実の一端を物語っている。一方、蓮如を追った側とされる天台宗寺院としては、白山信仰の中心であった平泉寺(現・福井県勝山市)と豊原寺(現・福井県坂井市丸岡町)が知られている。とくに豊原寺は、当時越前国にあった白山信仰の拠点で、蓮如への迫害に関与した僧兵勢力の一角をなしたとされる。こうした背景を踏まえると、御簾滝観音岩は単なる自然の奇岩ではなく、中世宗教史の激動の場面における地域の記憶の象徴といえる。さらに、観音岩と同じく地域の自然文化遺産として重要なのが、近隣の栢野(かやの)地区にある「栢野の大スギ」である。このスギは推定樹齢2300年、樹高約54メートル、幹周り11メートルを超えるとされ、1928年には国の天然記念物に指定された。蓮如が当地を訪れたときにもすでに存在していたと推定され、観音岩・般若窟と並んで、加賀市山中温泉地域の自然と信仰のつながりを象徴する存在となっている。御簾滝観音岩に関しては、明確な築造や加工の記録はなく、あくまでも自然の成り立ちによる地形である。しかしながら、その地形が生み出した特異な景観と、それに結びついた人々の語りは、長く信仰の場として記憶されてきた。蓮如伝承は単なる逸話ではなく、当時の宗教勢力図と人々の信仰の選択、そして地理的な環境のすべてが交差する中で成立した生きた歴史である。観音岩という名前が付された背景には、そうした地域の思いが込められているのかもしれない。加賀の山中にひっそりと残るこの岩は、派手さはないが、静かに時代を見守り続けてきた存在である。