珍しい字体の御朱印を手に。
若泉稲荷神社の特徴
珍しい字体の御朱印が魅力的な神社です。
由緒ある東本庄稲荷神社が境内に位置しています。
御祭神として倉稲魂命を祀っている神社です。
過去のクラウドファンディングに参加したので、秩父の帰りに訪問させていただきました。(お賽銭箱が見つからずお賽銭を諦めました)ぜひ、お賽銭箱や手水場の整備のために少額のクラウドファンディングを再度やっていただきたいと思います。屋根は緊急を要しましたが、息の長いクラウドファンディングで整備していただけたら、と思います。そう思わせる歴史を感じさせる場所でした。(もったいない!)
珍しい字体の素敵な御朱印を頂けます。祭祀などで不在な時があるそうなので、確実に御朱印を頂きたい方は、事前に電話で問い合わせた方が良いと思います。丁寧にご対応して頂けますよ。若泉稲荷さん(東本庄稲荷さん)は昔から力のあるお稲荷さんとして、知る人ぞ知るお稲荷さんです。先日身内が悩み事があって御守りを授かったのですが、(本人の努力も勿論ありますが)良い方向に向かいました。御守りを授かる時も宮司さんに御丁寧な相談にのって頂き、悩み事に合う御守りを用意して貰えました。【ご神徳は人によって変わります】とは、こういう意味だったんですね。大きくはありませんが、地元の人から大事にされてきたお稲荷さんです。
若泉稲荷神社(わかいずみいなりじんじゃ)御祭神 倉稲魂命二柱境内諸社 天神様 八坂様 手長様 秋葉様 御岳様 護国神社飛び地境内地に奥宮東本庄稲荷神社あり由緒飛び地境内地の東本庄稲荷神社は治承四年(1180)の創建です。武蔵守継行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請されました。荘太郎家長は、一ノ谷の合戦(1184)で源氏に従い、平武蔵守知章を討ち取り、敗走した生田森の副将軍三位中将平重衡を、須磨ノ浦海岸で梶原景季(又はその父景時)と共に生捕った武将です。天正十八年(1590)に、本庄氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由からこの神社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷しました。小笠原掃部太夫信嶺が、姫の病気を祈祷で治した現宮司家の隠居所料として東本庄の分霊を勧請したのが始まりです。明治にいたり、村社としてその庄名を冠して当時の埼玉県令千家尊福卿より若泉稲荷神社と名付けられました。明治四十二年(1909)に東本庄稲荷神社を県の指導により合祀しましたが、その後村内に火事が頻発するなどの出来事が絶えず、宮司の夢枕に東本庄稲荷大神がお立ちになるに及んで祟りと判明、大正十五年(1926)に元の所に奥宮として還座して火事はおさまりました。昭和三十年代(1955)初頭、台風により大木が全部倒れ、周囲の民家には一切被害がなく、拝殿だけ潰したのも霊験といわれています。(「境内案内板」「埼玉の神社」及び「Wik」参照)本殿胴羽目には、ダイナミックな構図でありながら、登場人物や脇障子の稲荷狐さんまでとても表情豊かに彫り込まれた彫刻が施されています。すぐ隣の「若泉幼稚園」の園児たちに、園庭の柵越しに「なにしてるの~?」と声を掛けられ、手を振りながら「写真撮ってるの~♪」と応えましたが、子どもたちが将来、地域の神社や日本の神さまに興味をもって、自分たちの地域に暮らしてきた先人達や、日本の歴史に誇りを持ってくれたらいいなと思います。(個人的な感想です)
御朱印を頂きに参拝しました。拝殿に登る階段横に、案内がありましたが、地図付きでしたが、ちょっとわかりにくい。とりあえず、となりの若泉幼稚園に寄りましたら、対応して頂き、運良く、宮司さんがいるとのことで、宮司宅で直書き御朱印頂けました。独特の素敵な御朱印頂きました。兼務社が多くてビックリです。各¥500
御朱印あり。電話をしてからの方が良さそうです。御守りはあるかどうかわかりません。(追記)令和8年3月1日御神札と御守はあります。しかし、東本庄稲荷神社の社務所が1日と15日の午前中に開いているので、その時に頂けます。それ以外は御神札は宮司さん宅に連絡して頂けます。初穂料1,000円。
旧村社。御祭神:倉稲魂命(うがのみたま)創建:平安時代相当。ここから南東にある、東本庄稲荷神社が奥宮です。本庄氏、小笠原氏由縁。御由緒書きによると、若泉稲荷神社の歴史は治承四年(1180年)、武蔵守継行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請したことに始まる。天正十八年(1590年)に本荘氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由からこの神社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷した。とあります。社殿は若泉稲荷神社古墳の墳頂に鎮座していて、稲荷神社の朱色が渋さを感じさせ、本殿の彫刻も古社としての厳かさを持っていました。尚、若泉稲荷神社古墳は小山川と女堀川に挟まれた微高地、西五十子古墳群に属する古墳で、規模は径38×21m、高さ2.5mほどです。追記:他の資料によると、東本庄に館を構えたのは本庄信明(児玉党本宗家末裔、室町時代)で、東本庄館初代館主であり、館の守護神として稲荷神社を勧請している。とあり、そして、庄家長は児玉党本宗家5代目で平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、栗崎館2代館主であることから、東本庄の地に東本庄館を築いたのは本庄信明である。とあります。(尚、本庄氏の系譜(特に時家から信明まで)鎌倉時代中期から室町時代中期は、庄氏の菩提寺が14世紀中頃(1337年)の合戦により焼失した事もあって、はっきりとしないのが現状だそうです。)周辺関連:東本庄稲荷神社。
| 名前 |
若泉稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0495-21-5265 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
一ノ谷の合戦で平重衡を生け捕った庄野太郎家長が居館近くに創建し、戦国末期に本庄氏と代わった小笠原氏が現在地の古墳上に社殿を建立。古墳は円墳とも前方後円墳とも言われるが、未調査のため判然としない。当社が最初に祀られたのは、現在地から500mほど南東で、今はそこには奥宮(東本庄稲荷神社)が祀られている。理由は、明治末期に一旦合祀されたら、当時の宮司の夢枕に稲荷神が現れて、「帰りたい…」と告げたため、再び戻されたと言う…。社殿は古墳の墳頂に鎮座、拝殿は入母屋造りで、透かし塀越しに垣間見る本殿は流れ造りで、シャープでディテールの深い彫刻がふんだんに配されていて、とても見応えがある…。鎮守の森は、広くて巨木が多くて、荒々しい。案内板、🅿️あり。2026/6/18