かつての鉄道が描く、昭和の息吹を感じる場所。
北陸鉄道能美線 徳久駅跡の特徴
昭和55年に廃線となった北陸鉄道能美線の歴史を感じられます。
徳久駅跡は大きな駅舎がなく、静かな場所にあります。
残されたホームで往時の鉄道の雰囲気を体験できます。
北陸鉄道能美線は、かつて鶴来駅~新寺井駅間 16.7キロ を結んでいた鉄道で、昭和55年に廃線にりました。1925年(大正14年)開業、今年で100年。現在は、ヘルスロードとして整備されており、歩行者と自転車が通れるようになっています。桜の木も多く、きれいな道です。広報によると、2025年中に各駅跡に、駅名看板が付けられ、そして、のみでん広場にある当時の電車は、2026年3月には能美根上駅に移設されるという。それを聞いて、1年半ぶりに訪れてみました。新寺井駅から来ると、手前駅は、湯谷石子駅。現在は公園になっています。ここからほぼ直線1.6キロで徳久駅(とくひさ)駅です。各駅跡に、真新しい駅名看板がつていました。駅名看板には写真も付いていますので、当時の様子がうかがえます。駅舎があったところは、ベンチあたりではないかと思われます。ソーラーで点灯する街路灯が新設されたようです。Googleマップ上で、この駅が表示されていますが、この駅に限って何かがあるわけではありません。線路やホームの跡地には、遺構と思われものはほとんどありませんが、古い写真にある山や建物と現在を合わせて、思いをはせるのが楽しかったです。辰口中央児童館の横には、のみでん広場があり、ここには、今後電車が移設される予定です。ここもぜひ足を運んでほしいと思います。
| 名前 |
北陸鉄道能美線 徳久駅跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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徳久駅跡は、大きな駅舎やホームが残る場所ではない。広場になった跡地と、そこから続く旧線路敷の線形が、ここに確かに鉄道が通っていたことを静かに伝えている。北陸鉄道能美線 徳久駅跡でまず目に入るのは、駅跡がいま広場になっていることである。派手な遺構は見えないが、空間の開き方に、もとは別の役目を持つ場所だったことを感じさせる。その印象を確かなものにするのが、広場の先へ続く旧線路敷の流れである。点としての駅跡と、線としての路線跡がここでは自然につながって見える。徳久駅は1925年3月に開設され、1980年9月の能美線廃止に伴って役目を終えたとされる。いまの静かな広場だけを見ていると想像しにくいが、この場所はかつて地域の移動を支えた路線の一駅だった。能美線は新寺井と鶴来を結ぶ約16.7kmの路線で、徳久駅もその途中に置かれていた。健康ロードとして残る道を前後にたどると、この広場が孤立した空地ではなく、路線の流れの中にあった駅跡だとわかる。しかも徳久駅は、ただ列車が止まるだけの場所ではなかった。駅の西側には変電所があり、駅員や変電所職員が常駐していた時期もあったという。現在の落ち着いた景色から受ける印象より、実際にはもう少し機能の重い駅だったことになる。この一点が入るだけで、広場として見えている今の姿の奥に、運行を支える拠点の記憶が立ち上がる。廃線後の残り方も、この駅跡の大事な特徴である。旧線路敷は健康ロードとして整えられ、駅があった場所も広場として地域の日常の中に取り込まれた。鉄道がなくなったあとに跡地が空白になるのではなく、別の使われ方へ移っていったところに、この場所の静かな面白さがある。駅舎やホームがはっきり残っていなくても、広場の位置、道の向き、線形の連続を追うことで、その土地がかつてどんな交通の場だったかは十分に感じ取れる。近年は旧駅名を示す看板も整えられ、地域の側でもここを駅跡として意識し直す動きが見える。ただ、この場所の価値は看板そのものではなく、広場と線形から駅の記憶が読める点にあるだろう。徳久駅跡は、鉄道の姿を大きくとどめた場所ではないが、形を変えた空間の中に駅の時間を残した場所である。