駒場公園で歴史に癒やされる。
花崎城跡の特徴
花咲遺跡として市の指定史跡であり歴史を感じる場所です。
南西側から湧く水の近くに、馬出しと堀が見られます。
立て看板や由来がなく、静かに歴史を楽しめる環境です。
北側の橋より東側に向けて撮りました。草木が無い秋から冬にかけて見たほうが堀や土塁の状態が良く分かります。また、駐車場が無いため近くのコインパーキング(徒歩5分 400円/日または花崎駅近く徒歩10分 200円/60分)に駐車することをオススメいたします。
城あったんかい。
公園になっていますが、駐車場はありません。車は道路に止め、訪城しました。案内板には花崎遺跡と書いてありました。遺構は水堀と複数の郭が残っていますが、縄張り図がないので城全体のイメージわきません。東武線を挟んで反対側にもあったようですが、まだ未確認です。
花咲遺跡として市の指定史跡になっています。歴史的には湧水があったことから縄文時代から人々が集まり、平安時代には住居が建ち、戦国時代には館、城へと変わっていた様です。現在、城址は東武伊勢崎線によって分断されており、花咲城山公園と北側の花咲城跡公園になっています。花咲城山公園は本丸跡、花咲城跡公園は馬出跡のようです。本丸跡は堀がしっかり残っており、水堀があります。
緑に恵まれて癒やし。
馬出しと堀が見られます。
南西(教習所と真逆の位置)側から水が湧いているようです。線路側に向けて低くなって池ができていて、ちょっとしたビオトープになっています。湧き水が池から線路下を通り、暗渠(あんきょ)となっています。かつて花崎城は東の住宅地、北の公園と埼北自動車学校を含めた広い範囲でした。この辺りは南西の騎西城、南の菖蒲城、北東の栗橋城(茨城県五霞町元栗橋)と古河城、北の羽生城と館林城、唐澤山城、西の忍城、深谷城などと並び、小田原北条氏が押さえていました。それを北の関東管領・上杉景虎(謙信)が上野国を越えて何度も狙ってきました。小さな公園ですが、時々整備されています。公園の南に花崎鷲神社があり、小山氏などが崇敬していた鷲神社と関連があるかもしれません。
とりあえず水堀、空堀は有ります。発掘では障子堀も確認出来たそうですが、埋められたようです。線路を挟んで馬出もあったそうですが、雰囲気は感じられるのですが、後生の改変もありそうですし。駐車場もないので道端に停めるしかなく、もう少し頑張って貰えると嬉しいです。
家のすぐそこ。
| 名前 |
花崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
近くの騎西城と共に上杉謙信率いる小田原城攻めの帰りに攻め落とされた城跡。騎西城同様、当時は湿地や沼地が広がっており障子堀を多用した防衛システムが発掘調査により分かったそうです。公園入口に発掘調査時の写真が掲載されています。現在は埋め戻され、縄文期の花崎遺跡跡として公園化されておりますが空堀(水堀)が復元されており住宅地の中の戦国時代を感じる事が出来る貴重な城跡です。公園ですが駐車場は無く、踏切前のコインパーキングを利用しました。線路向かいには馬出だった公園があるようですが堀や土塁等は無いようですね!草刈りもされ、きちんと整備して下さり良い登城が出来ました。現遺構を宅地化せず後世まで残してもらいたいですね。