善長寺境内の秘めた逸話。
お辻・松女供養碑の特徴
善長寺境内に佇む供養碑は多くの逸話を抱えています。
諸説ありの伝説が魅力を引き立てています。
地元の歴史に触れられる貴重なスポットです。
諸説ありの伝説。榊原康政の側室という話もあれば別の話も。いづれにしろ、つつじヶ丘の起源らしい。それなのに彼女らの近くにつつじは無い。つつじはすぐ近くの城沼の向こう岸にあるのだ。もう少し華やかにしてあげたい気もするけど静かに眠っているのかも。
こんな逸話があるそうです。案内板を抜粋します。榊󠄀原康政(徳川四天王の一人、館林城主)の側室お辻の方は、寵愛を一身に集めていた。ある日、お供の人々と共に舟遊びをしていた折に、沼の主(一体何者だ?怪物か)に見込まれて、侍女松と共に入水したという伝説が残されている、という。康政候がその死を悼んでお辻を弔う為に沼の上に植えられた一株のつつじが今日のつつじが岡公園の起源と言われている。巨法山 善長寺凄い言い伝えですね。あくまでも墓ではなく供養碑だそうです。
| 名前 |
お辻・松女供養碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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善長寺境内にある供養碑。榊原康政の側室お辻󠄀の方とその侍女松の供養碑です。お辻󠄀の方は館林城主だった徳川四天王の1人榊原康政から寵愛を受けていた側室でしたが、城沼で舟遊びをしていると天候が悪化し波が荒れて船が進まなくなる怪異に遭遇してしまいました。これを沼の主に見込まれたせいだと考えお辻󠄀と松は沼に入水したという伝説です。また康政から寵愛を受けていた分、他の側室達から妬まれそれに耐えられず自ら命を絶ったともいわれています。その死を惜しんだ康政はお辻󠄀が好きだったつつじの花を城沼の南に植え、それが歴代城主によって増やされて現在の様なつつじが咲き誇る名園になっていったといいます。