周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
正面に建つのが薬師堂、右にあるのが観音堂で、天翁院が管理する。石仏が4体並ぶが、その一つは喜沢の追分にあったといわれ、享保3年(1718)の地蔵尊である。側面に「右へ奥州海道、左へ日光海道」と彫られている。その二年前に、幕府は日光街道を「日光道中」と正式に定め、「海道」の使用を禁じたが、そのおふれが徹底されていなかったものとみられる。