御獄山神社の巨木、緑の歴史を感じる。
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| 名前 |
御獄山神社のスダジイ |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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御獄山神社のスダジイは、神社に残る一本の巨木であるだけでなく、平地の暮らしの中で古い緑がどう生き残ってきたかを、その幹と根元で示す木である。御獄山神社の境内でまず目に入るのは、根元の大きな張り出しと、それを受けて立ち上がる幹の太さである。記録では幹周7.2m、樹高23mとされるが、この木の面白さは数字の大きさだけではない。地面を押し広げるような根元のかたちに、長くこの場所に立ち続けてきた木の時間が見える。社殿より先にこの木へ目が行くのは、そのためである。幹の基部は大きくふくらみ、一本がすっと伸びた木というより、長いあいだ姿を変えながら保たれてきた木に見える。記録写真では、基部の肥大や板根状の張り出しが目立ち、複数の幹が寄り合っているようにも感じられる。見上げると、上では枝葉がしっかり広がり、幹と樹冠が一つのまとまりとして境内の空間を支えている。整った名木というより、古木らしい重さをそのまま残した姿である。この木が気になるのは、ただ大きいからではない。神社の境内に立っていることが重要なのである。野にぽつんと残った巨木ではなく、祈りの場の中で見守られながら残ってきた木だからこそ、一本の木以上の意味を持つ。境内木は、その場が長く保たれてきたことの証拠でもあり、木の古さと場所の古さが切り離せない。しかもここは、山奥の森ではなく、農地や集落に近い平地の神社である。人の手が入りやすい場所ほど、木は伐られ、植え替えられ、景色も変わりやすい。その中でなお残ったということ自体が、この木の見どころである。大木であること以上に、ここで残ったことに価値がある。樹種はスダジイとされる。北陸では、こうした常緑広葉樹がまとまって残る場所は限られ、神社の森がその受け皿になることがある。県内でも、社叢が周囲の農地化の中で自然植生の名残を伝えるものとして位置づけられる例がある。そう考えると、この木は境内の飾りではなく、この土地にもともとあった緑の系統を今に伝える木として見えてくる。神社の由緒では、この地は洪水の際に人びとが避難した山に祠を建てたことに始まるとされ、その後に祀るものや社名が変わってきたと伝わる。細かな年次を並べるより、大切なのは、この境内が長く地域の拠り所であり続けたという点である。その時間の中にこのスダジイも立ち続けてきたと思うと、木はただ古いのではなく、場所の記憶を受け持つ存在に見えてくる。その意味は、社殿と一緒に見るとよく分かる。建物は建て替えられ、手が入り、時代ごとに姿を変えてゆく。それに対して木は、もっと長い時間を境内に持ち込む。人が更新してきた場所の中で、木だけが更新されずに残る。その対比が、この神社の時間をいちばん分かりやすく見せている。樹齢を何百年と急いで決める必要はない。かなり古い木と見てよさそうでも、数字を強く言い切るより、幹の太さ、根元のふくらみ、樹冠の量感を見たほうが伝わるものが多い。記録写真でも大きな枯れ上がりは前面に出ず、まず樹全体の量感が印象に残る。古さは説明で知るより、立ったときの見え方で受け取るほうがこの木には合っている。御獄山神社のスダジイは、神社に残った一本の大木であると同時に、この土地に残った古い緑そのものなのである。