中世のお城跡で二度のお花見。
石戸城跡の特徴
由緒ある中世のお城跡で、訪れる価値があります✨。
桜が都内より遅れて満開になるため、特別なお花見が楽しめます。
近くには皇族も訪れた自然観察公園があって魅力的です。
2025.8.16それなりに交通量の有る道路によって分断されているが、自転車で走ってみると、それなりに高低差を感じることができ、当時の城の勾配がわかる。隣接する公園から見ると、丘陵を目で見ることができる。ただ、案内板だけで、ここがどこの跡という形にはなっていない。道路以外の城地は開発されずに残っている割合が多いので、逆にもったいないと感じました。
「跡」ですが、特に何もありません。ただ採掘(?)は進めているらしく、歴史が紐解かれるのが楽しみです。周りは民家なのでご迷惑をかけないように注意です。
怪談家ぁみさん、DJ響さんが訪れてますぁみさんのYou Tubeチャンネルの霊話で見られますよ。
由緒ある中世のお城跡✨近くに皇族も訪れた事がある自然観察公園もあるよ🎵この辺りは荒川沿いで気温が若干低いお陰で桜が都内より遅れて満開になるので時間差で二度お花見🌸出来ます✨
石戸城跡は案内板はしっかりしてますが遺構は見当たりません。私有地も多く立入禁止場所となっていることもあり、付近を歩き回るくらいではさっぱり。もう少し整備、管理や調査が進んで可視化できるとより興味深いと思います。
二の郭付近は藪だらけであまり城跡感は無いです。二の郭の反対側には土塁があり草に埋もれた石碑っぽいものもありました。もう少し整備して欲しいです。
中心部分に民家があるし、一見城跡らしくはないですが、よくよく見てみると…… 北側の桜土手(廃城になった江戸初期?)がなかったのだから好立地か?できれば、戦国時代の地形図などの説明が欲しい。もちろん桜土手はないし、当時は荒川は流れていないが和田吉野川と市野川が雄飛航空川島ヘリポート辺りで合流し、横田薬師堂下湧水辺りで台地にぶつかり流れを変えていたなど… そうすれば、南側の尾根以外の崖に囲まれた自然の要害だったことが一目瞭然に。また、水運と近くの鎌倉街道など交通の要衝であったことも。以下に現地看板の説明書を。埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡昭和四十四年十月一日選定石戸城は別名「天神山城」ともいわれ、 十五世紀後半頃に築かれたと考えられている。当時は、戦国大名が覇権を争う群雄割拠の時代であった。城は上杉氏の家人・藤田八右衛門によって築城されたとされ、北上する北条氏の勢力に備えるため、岩付城から松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと思われる。永禄六年(一五六三)二月、北条・武田の連合軍が上杉方である松山城を包囲した際、雪の上越国境を越えて接軍に駆けつけてきた上杉輝虎(謙信)が、短期間ではあるが石戸城に逗留している。その後は北条氏の支配を経て、徳川氏の関東入国以降、城としての役割を終えるようである。現在では発掘調査などによって土塁や堀が良好に保存されていることが確認され、堅牢な城郭の姿が復元されつつある。平成二十九年三月北本市教育委員会。
由緒ある中世のお城跡✨近くに皇族も訪れた事がある自然観察公園もあるよ🎵この辺りは荒川沿いで気温が若干低いお陰で桜が都内より遅れて満開になるので時間差で二度お花見🌸出来ます✨
城跡であって、なにも残っていないのが残念です。一夜堤と合わせて観光。桜の時期はお勧め。
| 名前 |
石戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kitamoto.saitama.jp/kanko/shop/1419505898308.html?cat=3 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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扇谷上杉氏の武将が城主を務める城。上杉謙信の小田原城攻めの後に失地回復に乗り出した北条氏の攻勢で落城している。この戦闘の際に北条氏邦が築いたとされる一夜堤は自然観察公園内に今も残る。