延喜式内社 川合神社の神秘。
熱田坂・川合神社(熊野大明神)の特徴
延喜式内社に指定されている貴重な神社です。
熊野大明神が祀られている神聖な場所です。
越後国の歴史を感じられる由緒ある社です。
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越後国 沼垂郡 延喜式内 川合神社です。沼垂郡五座の一。 歴史ある神社です。扁額は「熊野山」。
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延喜式内社 小社 川合神社(論社?)
| 名前 |
熱田坂・川合神社(熊野大明神) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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川合神社(かわいじんじゃ)。新潟県胎内市熱田坂。式内社(小)、旧無格社。【祭神】多奇波世神 熊野加夫呂岐櫛御食野命 湍津姫命(合祀)倉稻魂命 大山祇命 水波之女命【祭祀対象】本来は川を祀る資料によると、鹿ノ俣川と胎内川が合流する岬状の場所。暑い夏に人気の、水遊び広場で、ウオータートンネルやウオーターマシンガンなど水遊具も豊富にある胎内川大噴水の近く。一説に、第40代天武天皇の御宇、役小角が諸国を巡拝した際、現在地の南5kmにある標高931mの風倉山に登拝し、熊野久須毘神を勧請したのが始まりだという。第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、熊野加夫呂岐命を勧請し、熱田明神を創建して、熊野本宮・新宮の神々を配祀したという。『平成祭データ』によれば、当社の祭典に「風倉奥宮祭り」という神事があり、風倉山山頂には当社奥宮がある。当社が『新撰姓氏録』にある川合公に関連する社であると考え、川合公は豊城入彦命五世孫である多奇波世君の後裔であるため、当社御祭神を多奇波世君とする説がある。多奇波世君は、竹葉瀬(たかはせ)、あるいは「竹合」とも表記され、第16代仁徳天皇の時に朝鮮へ派遣された武将である。ただし、由緒のように、熊野信仰との関わりを指摘する説も根強い。ただし、もともとは水神を祀る社だったとも考えられている。式内社「川合神社」の論社は他に、当社地を旧地とする由緒を持つ、当社の近くに鎮座する神明宮がある。また、越後国には魚沼郡にも同名の式内社があり、長岡市東川口の式内同名神社、魚沼市四日町の諏訪神社、小千谷市川井の明口神社が論社。社運も隆盛し、最盛期には風倉山の麓に50あまりの社殿、堂宇が建ち並び、8坊を擁していたが、鎌倉時代前期の建仁元年(1201年)、兵火により社殿を焼失した。越後平家一族である城資盛が鎌倉幕府に反抗し、鳥坂城に籠城したため、幕府からの追討軍である佐々木盛綱に攻められ、鳥坂城は落城した戦いによる。この後、当社は衰微したが、その後再興され、室町時代の応永年間(1394年-1427年)には日本三熊野に数えられ、烏午王の版木を賜った。ただし、現在当社を日本三熊野に数える説はほぼない。当社御祭神にも諸説ある。多奇波世神・熊野加夫呂岐櫛御食野命・湍津姫命。倉稲魂命・大山祇命・水波之女命を合祀するとも。一方、伊弉冉尊・事解男命・速玉男命という完全に熊野権現を御祭神とするものもある。『越後國式内神社考』によれば、神功皇后の妹神である與止比咩命と水分神が主神で、相殿に熊野神を祀るとしている。どちらにしろ、当社の例祭は8月17日で例大祭。とあります。