城址公園の天女像で心静まるひととき。
富山大空襲 戦災復興記念像 (天女の像)の特徴
城址公園の片隅にある天女と児童のブロンズ像です。
戦災復興を象徴する意味深い記念像です。
富山懸護國神社の遺芳感館と併せて訪れたい場所です。
城址公園の片隅に鎮座している戦災復興記念の観音様のような天女と児童のブロンズ像です。富山は戦時中大きな空襲を受けており、原爆模擬弾の空襲も受けていました。市民の憩いの場の公園にこうした像が置かれるのも、そうした戦災からの復興の思いがあるのかもしれません。
ここに興味を持つなら、富山懸護國神社の遺芳感館にもぜひ行ってみて下さい。ウェブサイトを見るだけでも十分内容に触れられます。
■戦災復興記念像 (天女の像)富山県富山市にある天女立位像。富山城址公園の北西側に建つ天女と児童のブロンズ像。作銘:天女の像制作:原型師 米治一(Kome Jiichi)昭和49年 (1974) 8月1日建立。●富山大空襲の犠牲者を追悼慰霊して、恒久平和を念願するとともに復興に尽力した市民を讃えた記念の像。羽衣を纏った天女の側に幼兒が手を合わせている。広い城址公園の北西側にあって東向きに配されいる。原型師の巨匠、治一翁80歳頃の作品。天女は菩薩さまのようなお目立ち。丁寧な良作。台座の背面には建立期の碑文ブロンズプレートが讀める。像の左手前に碑文を元にした現代標札に説明文が後から加えられた。カテゴリが決めづらい、彫刻、史跡、礼拝所等々、何れにしても広く周知される事を願いたい記念像。◆総務省のまとめた全国にある戦災追悼施設がホームページに公開されている。令和4年春迄には富山県内の追悼施設の掲載扱いがまだ無かった。遅ればせながら最近になって「天女の像」が総務省の掲載に加えられて安堵した。当ウェブサイトには其の総務省の紹介ページを宛てる。碑文の内容や連絡先なども知ること出来る。※台座背面の碑文は以外の通り。『昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を加え 八月二日未明 富山市は B29 七十余機の焼夷爆弾攻撃を受け 市街地は 一瞬にして焦土と化した約二万五千の世帯 十一万人の市民が罹災し 約八千人が重軽傷を負い 二千二百七十五人が尊い生命を失い まさに壊滅の状況に置かれた惨憺たる焼土と絶望の虚脱の中から富山市民は 平和を渇望し郷土の復興に気力を燃やし 槌音高く 県都富山の再建に立ち上がった以来二十有余年 市民の決意と総力の結集が実を結び 戦災復興の大業が成り近代的都市が出現したここに恒久の平和を念願するとともに尊い犠牲に敬虔な祈りを捧げ市民の努力の偉大な業績を記念して戦災復興記念像を建立する昭和四十九年八月一日富山県知事 中田幸吉 題富山市長 改井秀雄 録』
志しはわかるが、なぜ城址に置くのか全く意味が不明。極力城と関係ないものは移転させて史跡の風致保全に努めるべきだと思うのですが…(^_^;)
| 名前 |
富山大空襲 戦災復興記念像 (天女の像) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を加え、八月二日未明に、富山市は、B29百七十余機の焼夷爆弾攻撃を受け、市街地は一夜にして焦土と化しました。約二万五千の世帯、十一万人の市民が罹災し約八千人が重軽傷を負い、二千七百余人の尊い命が失われ、まさに、壊滅的な状況になりました。惨憺たる焼土と、絶望の虚脱の中から、富山市民は、平和を渇望し郷土の復興に気力を燃やし、槌音高く、県都富山の再建に立ち上がりました。市民の決意と総力の結晶が実を結び、戦災復興の大事業が完成し、今日の近代的都市に生まれ変わりました。この天女の像は、恒久の平和を念願するとともに、尊い犠牲に敬虔な祈りを捧げ、市民の努力による偉大な業績を記念して、富山復興特別事業協議会により、昭和四十九年八月一日に、戦災復興記念像として建立されたものです。平成二十年八月一日富山市と記載されています。