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この遺跡は、縄文時代中期・後期・晩期(約4,500年前~2,300年前)にかけて、古代の人々が生活を営んでいた集落・祭祀跡になるそうで、一般的に「ミミズク土偶」といわれるタイプの土偶が出土しています。案内板によれば、常磐自動車道の建設に伴い昭和59年に、6023平方メートルにわたる遺跡発掘調査の結果、縄文時代の配石遺構181基、竪穴住居跡29基、土坑344基、溝5条、埋甕11基が検出されたそうです。遺物は、縄文土器、土偶、石剣、石棒、石鏃、骨角器、獣骨など数多く出土しております。特に遺跡中央部から検出された竪穴住居跡は、縄文時代の後期のもので、南北11.6メートル東西10.8メートルのほぼ円形で地床炉をもつ大型のものであり、縄文時代の竪穴住居跡としては、茨城県内最大規模✨のものといわれているそうです。なにげに凄い縄文遺跡なのです。