旧村社の歴史を感じる特別なひととき。
稲荷神社の特徴
歴史ある旧村社で、地域の重要な神社として親しまれています。
旧村社格を有しており、格式が高い神社としても知られています。
埼玉県本庄市小和瀬に位置し、訪れる価値のある場所です。
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旧村社格。源経基由来。
| 名前 |
稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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旧村社。御祭神:倉稲魂命(うかのみたま)。創建:平安時代相当。資料によると、「小和瀬村鎮守稲荷大明神縁起」を要約すると、次のようになる。天慶年間(938-947年)、平将門征討のため東国に下向した源経基が、利根川の辺りにたむろしていた将門の弟御厨三郎将頼と小阿波瀬の河原で戦い、ついに将頼を討ち払うことができた。この勝利に際し、経基が京都伏見稲荷を村の西方に勧請したのが当社の始まりであり、(中略),更に寛正年間(1460-66年)に上杉管領房顕が五十子城にあった時、当社を東方に遷すと共に社殿を五十子城に向けて再建し、城の鬼門守護の神として祀ったという。その後も、当社は様々な武将によって崇敬され、永禄五年(1562年)の小河波瀬合戦では、当社の森に宿陣した新田方が上杉方に大勝利を収めたことから、新田家より神領を差し置かれた。慶長九年(1604年)の備前渠用水の掘割りに際して、一旦は村の西方に遷座したが、寛永二年(1625年)に現在の社地に移り、今に至っている。とあります。ここ本庄市小和瀬は本庄市の北東にあり、利根川も近く、平安時代中期から戦国時代にかけて、坂東地域の要所として、色々と武将たちの争いの激戦地帯になっていたようです。そして江戸時代以降は、裏に流れる備前渠用水を見守る鎮守の森としてこの土地に鎮座していたようです。境内の隅にお焚き上げの石窯がありましたが、栗の形をした珍しいかまどでした。