渋沢栄一の師、尾高惇忠の邸宅。
尾高惇忠生家の特徴
渋沢栄一が論語を学んだ貴重な場所で、歴史を感じられる外観です。
尾高惇忠に関する説明が豊富で、スタッフが丁寧に教えてくれます。
江戸時代から現存する建物で、富岡製糸場の背景を知ることができます。
此方の施設も無料です。深谷で渋沢栄一にも影響を与えた、尊王攘夷思想の第一人者ですね。レンガの蔵が珍しい🤩案内の方が色々説明して頂きました、ありがとうございます🙇
渋沢栄一の従兄にあたる小高惇忠が住んでた家です。渋沢栄一が小さい頃論語を習いに毎日の様に通っていたようです。小高惇忠自身も富岡製糸場の初代工場長なども務めて大きな功績を残したようです。こちらの施設は駐車場やトイレも設置してあります。また、無料で入れるのにスタッフの方が丁寧に説明をしてくださいます。最初は小高惇忠がどの様な方か全く知りませんでしたが、だいぶ理解をすることができました。大河ドラマにも出てくる様で大河ドラマを見たから来たといる人を何人か見かけました。
近くに駐車場があります。生家の前には旧尾高家の長屋跡があり、看板が立てられています。平成15年前後に取り壊されました。生家に入るとスタッフの方が対応していただき、無料でガイドもしてくださいました。密議をしたとされる2階は非公開のため、1階と庭にある煉瓦造土蔵の説明をしていただきました。また尾高惇忠や渋沢栄一に関するお話もしていただき、幕末期の深谷についても知ることができました。生家の近くには渋沢栄一記念館や渋沢栄一の中の家などもあるため、そちらもセットで行かれるといいと思います。
渋沢栄一の従兄で初代富岡製糸場所長を務めた尾高惇忠の邸宅。尾高や渋沢が高崎城乗っ取りや外国公館焼き討ちを計画した部屋がある(非公開)。入館料は無料で駐車場あり。
建物床上には上がれず、土間を通過するのみ。シルバーセンター派遣さんの憩いの場になっている様子。正直、見学する価値は皆無でした。
渋沢栄一記念館へ向かう途中で、看板があったので立ち寄りました。駐車場が道路向いに4台位停められます(無料)ボランティアのスタッフの方が数名おられ説明もしてくれます。建物自体は、そのまま保存されているような様子で展示物などは特にありませんが、その時代の様子が良く分かります。
渋沢栄一の従兄弟、尾高惇忠の生家で、栄一が論語を学んだ場所。部屋には上がれず見どころは少ないが、尊皇攘夷から慶喜に仕える転換点だったかもしれない場所と思うと感慨深い。
渋沢栄一生誕の家「中ん家」より3kmと近い所にあります。栄一は毎日歩きで通い、この建物の2階の一室で従兄の尾高淳忠に学問と裏庭の広場で武術を習っていたそうです。(解説の方が仰っておりました)裏庭と母屋の間には当時のままの井戸もありました。ここで鍛錬の後な汗を流したのかな。中ん家は明治の中頃に家事で消失して現在のはそれ以降に再建されたもの。しかしここは築300年(だったかな?)で当時のまま残っております。1階の窓はアルミサッシになっておりましたが2階はほとんどそのままで老朽化の為、見学者を通したら床が抜け落ちかねないとの事で座敷等には上がれません。ある意味本当の意味で歴史を体感出来る所です。
一部しか公開されていなかったので見応えはありませんでしたが、建物の外観、煉瓦造土蔵や庭などは雰囲気が良かったです。係の人も感じが良かったです。
| 名前 |
尾高惇忠生家 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
048-587-1100 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~17:00 |
| HP |
http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344439348.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
深谷市下手計、尾高惇忠氏の生家。尾高惇忠氏は天保元年(1830年)の生まれ。渋沢栄一翁の従兄で、翁の幼少期の学問の師である。富岡製糸場の設立に関与し、初代場長を務めた。そのほかにも国立第一銀行の盛岡及び仙台支店支配人なども務めた。この尾高惇忠氏の生家は江戸時代後期に建てられたものと伝えられる。建物は、平成22年(2010年)に深谷市指定文化財となった。