歴史の息吹感じる浦添城跡。
浦添城跡の特徴
浦添城跡は、沖縄の歴史的な激戦地の一つです。
遺跡発掘調査による石垣の技術が注目されています。
無料で入れる公園内から美しい景色が楽しめます。
グスク跡好きの私からしたら大好物でした。人気がなく貸切状態。あまり人気がないのかな?と思いましたが流線型の城壁は圧巻です。
御城印を求めてランニング🏃駐車場はそれなりにあったはずです。頂上?に登ってから少し足場が不安定だと🧐景色はかなり良かったですね~😚👍城跡が発掘されたようで看板が設置されていました☝️浦添城跡に御城印があるのではなく、少し離れた場所にある浦添グスク ようどれ館で販売しています。それを知らず、通過して浦添城跡まで行ってからまた1周してようどれ館まで行くという無駄足を踏むことに😑ようどれ館にも駐車場はちゃんとありました✋
ゆいレール駅から徒歩にてアプローチ。多くの史跡見る価値あると思います。また、普天間基地に着陸するヘリルートになっていて迫力ありました。
浦添城跡は国の史跡に指定されている。浦添城北側中腹には琉球王の陵墓である浦添ようどれがある。浦添城は台地の先端部に築かれている。築城年は不明だが12世紀から15世紀にかけて王が居城したとの伝承が残る。史実かどうかはわからないが、王の陵墓である浦添ようどれがあるのである程度の信憑性はあるだろう。浦添城は1609年の薩摩軍侵攻により建物が焼失し、その後廃城となったようである。玉陵(たまうどぅん)は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に認定されている。見学は有料である(入場料300円)玉陵とは琉球王国王家尚氏歴代国王が葬られている陵墓である。石造りで三つの建物に分かれており中室で葬儀後に遺体が骨になるまで放置し、数年後に遺骨を骨壺に納めて王、王妃は東室、その他王族は西室に納められた。各室内部は見ることはできない。玉陵は1501年に築かれたが、沖縄戦では首里城とともに大きな被害を受けた。1974年以降に修復工事が行われ現在の姿となった。
2025年11月20日 今日はここだけの見学なのでゆっくり回りました。ようどれ館と合わせると2時間位あるといいですね。東端にあるワカリジーという石灰岩のところまで行くのは結構いい運動でした。
山の上にあり眺めて良い城跡です。王墓があります。城跡が公園になっていて、駐車場、トイレがあります。住宅街の道を上って行きますが入口が分かりにくいです。
浦添の高台に残るグスクの跡。琉球王朝の居城と伝わりますが、築城の時期やその後の変遷など詳しいことはわかっていないようです。城は17世紀に薩摩軍との戦いによって焼失、いったんその役割を終えます。しかし歴史はそれで終わらず、20世紀の沖縄戦では旧日本軍の陣地がここに置かれ、米軍とのし烈な攻防戦の舞台になりました。現在の城跡は、ようどれなどが復元されていますが、それ以外は石垣などが残るくらいで、むしろ沖縄戦の痕跡のほうが目につきます。争いの絶えない世の中を象徴しているような、ちょっと複雑な気分になります。
自分も含めて景勝地「浦添城跡」というより、激戦地「前田高地」と言った方がイメージしやすいが、ともあれ南北の平地に横たわるようにしてそびえるここは、古来より軍事的に重要であったということだろうね。
公園内は無料で入れます。ゆいレールの1日券を購入したので来てみました。浦添前田駅からは少し歩きますが、活動範囲です。観光客はほとんど無く、地元の人が少し来ている程度です。小高いところにあるので浦添市内、宜野湾の米軍滑走路が見えます。
| 名前 |
浦添城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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首里城以前に琉球王国の中心だった城。標高130mの丘陵にあり、遠方を見渡せる程に眺望が良い。江戸時代の薩摩藩島津氏による琉球侵攻により、焼き討ちに遭い廃城となった。沖縄戦では前田高地と呼称され、日本軍の防衛拠点として陣地を構築、米軍に対して頑強に抵抗した。城跡は戦争による破壊と採石によって大部分の遺構が失われたが、発掘調査により一部が復元されている。