忠臣蔵ゆかりの大石邸跡へ。
大石邸跡の特徴
大石内蔵助の祖父が住んでいた邸宅跡です。
大石良欽にちなんだ像があり訪れる人を魅了します。
整備された跡地は歴史を感じる美しい景観です。
「忠臣蔵」といえば兵庫県の赤穂が舞台ですが、実は主君である浅野家は、赤穂に移る前は笠間藩の藩主でした。浅野家が笠間から赤穂へ国替えになった際、武士たちも一緒に赤穂へと引っ越しました。そのため、討ち入りに参加した四十七士のうち、吉田忠左衛門、小野寺十内、堀部弥兵衛の3人は笠間の生まれです。リーダーである大石内蔵助の祖父や曽祖父も笠間に暮らし、家老を務めていました。このような深い歴史的シンクロニシティがあるため、笠間では古くから赤穂義士たちを偲ぶ活動が盛んです。
ここには、赤穂浪士で有名な大石家の邸宅があったそうです✨笠間藩時代には、筆頭家老の家柄であった為にこの笠間城のすぐ麓に邸宅があったんですね。その後に水野氏移封により一緒に赤穂藩へ…そしてあの有名な赤穂浪士の物語「忠臣蔵」の流れになるんです😊この笠間藩時代は水野家と一緒におおいに笠間を整備した方たちです✨
菊祭り中の笠間市へ行きました。大石邸跡は、市営駐車場のすぐ隣にあります。市営駐車場から笠間稲荷方面へ歩いて散策してみました。江戸時代初期、浅野家は笠間藩主だったのですね。今は何も残っていませんが、銅像と説明板があります。
赤穂浪士ゆかりの地、大石邸あとちょっとです。赤穂へ移封される前の浅野家は笠間藩主でした。現在、赤穂市と笠間市は姉妹都市になっています。
常陸稲荷神社の公営🅿️から直ぐにあり…たまたま見つけ驚きました😳あの有名な忠臣蔵の大石邸跡が茨城県にあるとは(≧∇≦)b✨️
笠間城主浅野長直の家老だった大石家。ここは忠臣蔵で有名な浅野内蔵助の祖父が住んでいた屋敷跡です。なのに案の定というか、銅像は祖父の良欽ではなく内蔵助でした。💦
✳️忠臣蔵で有名な浅野家の家老大石内蔵助の先祖の住居跡です。徳川幕府の命令で、西方防備のため、1645年に赤穂に移封になったがその後も笠間藩の家老邸として使用していました。石の門柱が立派で、銅像も凛々しく立っています。
2024年11月10日(日)史跡大石邸阯というのがあり、『えっ?大石内蔵助って赤穂ではないの?』と思いつつ寄ってみました。大石内蔵助は笠間に関係ないと思っていたら、そうではなく笠間市が赤穂藩浅野家とゆかりがあったとは知りませんでした。大石内蔵助の像がありましたが、台座を見たら、大石内蔵助良雄とありました。大石内蔵助だと思ったら、大石内蔵助良雄と言う名前だったんですね。ここに来て色々と勉強になりました。
大石邸跡だが、建物は跡形も無し。代わりに大石内蔵助さんがいらっしゃいます。(石像ですが)元は内蔵助さんの祖父の屋敷だったらしい。詳しい説明が書かれている看板があるので、過ぎ去った歴史の片鱗を感じたい方は是非。すぐ隣に美術館と、駐車場がある。とても広く、かつ無料です。電車ご利用の場合、それなりに歩く覚悟が必要かも。近隣に城跡もあるようなので、そちらもお勧めです。夏に訪れる場合、水分補給お忘れなく。
| 名前 |
大石邸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
笠間日動美術館の敷地に隣接する場所にありました。赤穂浪士の討ち入りで有名な大石家の邸宅がなぜ笠間に??説明板によれば播磨国・赤穂藩主の浅野家家は元々は常陸国・笠間藩主で後に赤穂藩へ移封されたようです。なので浅野家筆頭家老の大石家も移封前は笠間で暮らしていた事になります。