幕末の志士が眠る、歴史の証。
水戸殉難志士之墓の特徴
初代水戸藩知事の徳川昭武が殉難した志士の墓がある、歴史深い場所です。
約370余の水戸藩士が眠る墓地で、尊王攘夷運動の歴史を感じられます。
傍系の祖先の墓標を見つけ、不思議な気持ちになる貴重な体験ができます。
常磐共有墓地の入り口近くに林立する多くの墓は、敦賀から移した鰊蔵(にしんぐら)(回天館)と共に、幕末水戸藩の悲劇を物語っています。この墓は、元治元(1864)年の筑波山挙兵に関係した尊王攘夷の志士達が、志半ばに各地で処刑されたため、明治3(1870)年、その遺体を集めてこの地に埋葬したものです。その後、昭和8年には地元有志によって、安政の大獄以後の殉難者と合せて1785柱の忠魂塔碑が建てられ、昭和44年回天神社となりました。なお、その後漏れた志士も合祀されました。
案内板によると、初代水戸藩知事の徳川昭武が殉難した志士の遺骸を収容し埋葬した墓で、元治甲子の変、天狗党、その他尊王攘夷運動に挺身した水戸藩士370余が眠っているそうです。.·´¯`(\u003e▂\u003c)´¯`·.
傍系の祖先の墓標をいくつか見つけた時には、なんとも不思議な気持ちになりました。
現代日本があるのもここに眠る志士が作った歴史によるところが大きいと想うといつまでも遺して欲しいものです。荒廃したこの墓所を平成の半ば近くに改修して往時の姿に戻したとあるので一時は見捨てられていたのかも。天狗党は陰の部分もあるからかな。
回天神社を挟んで、2ケ所ありました。墓標の数にただただ、驚きました。
傍系の祖先の墓を見つけた時には、なんとも不思議な気持ちになりました。
見るもつらい場所です。元治甲子の乱(天狗党の乱)が起こらなかったならば,水戸藩の最優の志士達が命を落とすことがなかったならば・・・「たられば」でしかありませんが,ここに来ると,そう思わざるを得ませんでした。
こんな悲劇な藩はかつてあっただろうか?幕末に散った水戸の志士たちが眠っています。
| 名前 |
水戸殉難志士之墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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