万葉集の歌舞台、歴史を感じる曝井。
水戸の景観30選(22)萬葉 曝井(さらしい)の森の特徴
万葉集に登場する貴重な湧水、曝井の歴史が感じられます。
愛宕山古墳西方に位置し、静かな散策に最適な場所です。
風土記にある染め生地洗い流しの歴史的なスポットと言えます。
かなり古くからの歴史がある湧水地。
水戸台地の麓には涌水が多く,南から神明水・祇園寺下湧水・お茶の水湧水・七曲坂湧水・弓道場下湧水と辿ってきましたが,弓道場下湧水から北に少し離れて,涌水群のエースとも言うべき「曝井」があります。「萬葉曝井の森」公園の駐車場があるので,ここに車を駐めて・・・と,その公園を見つけるのが実は難事業かも知れません。愛宕神社から住宅街の狭い狭い路地をクルクル走って,偶然見つけたのですから。車を置く場所はありませんが,滝坂をゆっくり下っていくと,右脇に曝井の場所をすぐ発見することが出来ます。「萬葉曝井の森」公園は,とてもいい隠れスポット(トイレもあります)の雰囲気ですが,そこから竹林の中の階段を下ったところに曝井がありました。ここに碑がいくつかあります。「碑文の内容:郡衙(郡役所)から東北の方,粟河(那珂川)をはさんで置かれた駅家の南,坂の中程に水量豊富で大層清らかな泉が湧き出ている。これを曝井と言う。付近の村に住む乙女達が夏になると大勢ここに集まってきて,賑やかに布を洗い,陽に曝し,乾かした。」「三栗の 那賀に向える曝井の絶えず通はむ そこに妻もか」これは,万葉集巻九にある高橋虫麻呂の作とされる歌です。当時は律令制下において租庸調を税として納めていました。調は布地のこと。布を水に曝すのは女性の仕事であり,とある夏の日,涌き水にひたって乙女達がたわむれつつ布を曝す姿を見て,虫麻呂は「那珂の地に向き合っている曝井の水が,絶えることがないよう通ってこよう。そこに妻になる人がいるかもね。(ムッシッシ)」と歌ったわけですね。ここに来た時,万葉の昔に虫麻呂が見た乙女ならぬ,お年寄りの一団がいました。どうやら名所巡りのツアーのようです。恥ずかしながら,地元の自分も曝井って,実はつい昨日まで知らなかったり。
曝井は愛宕山古墳西方の湧水池で、万葉集にも登場する市内唯一の万葉の遺跡。
12月21日 久しぶりに さらし いに 行きました ちょっと 遅かったですが 竹林落ち葉が大変綺麗でした 行ったことがない方は 写真で楽しんでください また その途中であった ワン ちゃん も とりました ご主人に甘えん坊のイタリアングレーハウンド ミニチュアシュナウザーのノアちゃん ポメラニアン クリームのクー チャンとブラウンのラー ちゃん みんな楽しく散歩していました 可愛かったです。
万葉集に詠われた歴史ある湧水みたいです。涼しげでいいですね。もう少し雑草を処理したり水辺を清掃して手をかければ見応えが出ると思うのですが。
万葉集が記された奈良時代末期にも単身赴任があり、離れ離れになった家族を思い出さずにいられない男の悲哀を感じました。
風土記好きなので感動しました。
この場所は、染めた生地を洗い流す場所だった見たいです。神聖な場所です!しかし深夜は変な感じがします。1度丑三つ時に来て感じて見るのもよいかも。
東日本で唯一今に伝わる貴重な風土記にある曝井(^^)そして万葉集にも(・o・)とても静かなところで隣の滝坂から素敵な世界が見えました(^^♪気を静かにして目をつぶれば1300年前を想像できます( ´∀`)
| 名前 |
水戸の景観30選(22)萬葉 曝井(さらしい)の森 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
029-224-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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萬葉曝井(さらしい)の森資料によると、「三栗(みつくり)の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所(そこ)に妻もが」と現存する最古の万葉集に高橋連虫麻呂の作とされる歌の舞台が、水戸の水戸市愛宕町にある湧き水である『曝井』です。現在は「萬葉曝井の森」という公園として整備されて市民の憩いの場となっているこの泉は、古くから交通の要衝でもあり、また歌にもあるように男女の交流の場であったとも伝えられています。万葉集 九巻 1745「三栗(みつくり)の 那賀(なか)に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通(かよ)はむ そこに妻もが」(作者)高橋虫麻呂歌集。「那賀の向かいに流れる曝井の水が絶えることなく涌いている。私も絶えずそこに通って行きたい。そしてその曝井に妻なるひとが居てくれたらよいが。」とあります。「曝井の歌」の発祥の地のもう一つの比定地である、武蔵国那賀郡(美里町広木の枌木川(ねりぎがわ)の端にある湧き水)の方でコメントしていますが、そちらの方では、「曝井とは織布を洗いさらす井戸のことです。これらの織布は調布として朝廷に献納されたそうです。また織布をさらす井戸は共同作業所であり、若い女性が集まるところから男女交歓の場所ともなっていたようです」と言う、そのエリアの豪族(檜前舎人)と朝廷との関連まで触れ、その織布を作っているところが近くにあるのではないかと考えた時、奈良時代当時の織布製造に関わる二つのエリアに近い神社として、長幡部神社(埼玉県上里町長浜)、左記同名(茨城県常盤太田市)が想定されます。上里町長浜の長幡部神社からここ武蔵国那珂郡(埼玉県美里町)までは10km圏内。常盤太田市の長幡部神社から常陸国那珂郡(水戸市)の「萬葉曝井(さらしい)の森」までは15km圏内。両社ともさほど変わりが無く、どちらの神社も式内小社で歴史があります。ちなみに、江戸時代の国学者、橘守部は広木の地(武蔵国那賀郡)が曝井の遺跡として、そちらに碑文を書いているそうです。と考察しました。