水戸城本丸跡を巡る探訪!
水戸城 土塁・本丸跡の特徴
現在の本丸跡は水戸第一高校が位置しています。
薬医門のみが見学可能で貴重な史跡です。
那珂川と千波湖に挟まれた段丘の突端にあります。
2024年12月27日に散策しました。建久4年1193年、常陸平氏一族である馬場資幹(すけもと)は、源頼朝より、この地の地頭を仰せつかり、常陸大掾(だいじょう)に任じられました。舌状台地の突端部分である下の丸に居館を置いたのが、水戸城の始りとされています。やがて馬場氏は、常陸大掾の役職を世襲するようになり、大掾氏を名乗るようになります。応永33年1426年に江戸通房(みちふさ)が、大掾満幹(みつもと)の留守中に水戸城を攻め、城主として水戸を支配します。天正18年1590年、豊臣秀吉の配下となった佐竹義宣(よしのぶ)は、水戸城の江戸重通(しげみち)を攻めて落城させ、城主となりました。佐竹義宣が、大手を西側に変更し、大手門・橋詰門などを整備させています。慶長7年1602年に佐竹義宣は秋田へ転封となりました。慶長14年1609年、徳川頼房(よりふさ)が水戸城主となり、初代水戸藩主となります。明治4年1871年に廃城となりました。
茨城県は水戸市に有ります「水戸城本丸跡」です。今は学校になってしまっていて、当時を再現するのは不可能となっています。本丸跡見学者は学校の駐車場に車を止め見学する事は出来ますが…遺構らしい遺構は有りません。佐竹氏が建てた薬医門が有るのみです(旧水戸城の現存)。1枚目の写真の正面が本丸跡への入口の橋となっています。昔も、今のこの橋の場所に木製の橋が掛かり、薬医門が表門として橋を渡ってすぐの所に建っていたのでしょうかね。当時の風景に思いを馳せます。水戸城は平安時代末期に坂東武家平氏の馬場氏(大掾氏)が築城したのが始まりです。馬場氏は鎌倉時代には勿論、源頼朝率いる鎌倉幕府の御家人であり、そしてこの地の地頭でした。ここ水戸城本丸は自然の要害である深い谷に守られています。今は谷の底には線路が通っていました。電車が走っています。しかし…本当に深く良い自然の要害です。この辺りでは…ここしか無いというぐらいの山城(丘城)に適した地形なのが伺えます。(大手門辺りも深い谷の自然の要害が有り、二重の深い深い堀が有る様なイメージです)なので、この場所は様々な武将から狙われる事になります。良い場所は取り合いですよね。昔も今もそういった人間の欲望は変わりませんね。まぁ…そりゃそうですよね。命に関わる大事な場所選びですから。皆、御家の繁栄や存続に必死なのです。ここ水戸城は馬場氏の後は常陸江戸氏が領有し、その後は佐竹氏が領有し、最後は言わずと知れた徳川御三家の一つ、家康の末男•頼房の系統である水戸徳川家が領有しました。この水戸城は、徳川家が東北方面の有力大名達に睨みを効かせる大事な意味も有るのでしょうね。特に超有力大名の伊達氏でしょうか。(伊達政宗は密かに天下を欲していたという説も有る様ですからね)因みに、本丸跡以外にも二の丸跡、また三の丸跡も有りますので回ってみましょう。因みに全て学校などになっており、入れない場所も有るので注意して下さい。不法侵入になりますので。ここ本丸跡も奥の学校の建物の方には入る事は禁じられています。薬医門の見学辺りまでです。念の為。本丸跡は往時を偲び頭の中での想像系の史跡でした。ややマニア向けです。しかしながら水戸城跡には、他にも見応え有る弘道館(三の丸内)や、復元された立派な大手門等も有りますので是非に訪れてみて下さい。
本丸跡の現在の姿は水戸第一高校。入口には警備員さんが配置されていて一般人は中に入れない。
大堀切を跨ぐ橋を超えると本丸跡ですが、県立水戸第一高等学校敷地内になるので薬医門より先は立ち入り禁止です!
凄い!一つ一つが独立した郭で、土塁の城だけどこれは圧巻。本丸は今は高校があります。
現在、本丸跡は水戸一高となっているため、薬医門より奥側の見学は厳しいようです。当時の面影も土塁以外は残っていないようです。
本丸跡に水戸第一高校・中学校あり、二の丸跡に水戸第二中学校、三の丸の住所に三の丸小学校・水戸第三高校・茨城大附属小学校があるのが、偶然なのか?意図的なのか?弘道館で教育に力を入れられた想いが、今に繋がっているのでしょう!
本丸跡は水戸一高の中にあるため、薬医門しか見学出来ません。
現在は水戸第一高校が建っています。
| 名前 |
水戸城 土塁・本丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
029-224-1111 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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水戸城 土塁・本丸跡は、水戸駅の北東700mほどの茨城県水戸市三の丸にあります。本丸跡は、現在、茨城県立水戸第一高等学校の敷地となっています。本丸と二の丸を隔てる堀は、JR水郡線となり、二の丸と三の丸の間の空堀には県道が通るなど、ダイナミックな城郭の構造が現代に残されています。水戸城は、東西に細長い台地を堀で分断しながら、土塁で囲まれた曲輪(くるわ)を並べる構造です。東から東二の丸(下の丸)、本丸、二の丸、三の丸が置かれ、これらが城の主要部となっています。現在の水戸第一高校の敷地がおおよそ本丸跡、第二中学校や水戸第三高校、茨城大学教育学部附属小学校の敷地が二の丸跡にあたります。そして、弘道館や三の丸小学校、県庁三の丸庁舎が三の丸跡です。中心部だけでもかなり広大でした。東二の丸を含むこれら主要部は、東西約1200m×南北最大約400mに及んでいます。