水戸城跡から水戸一高へ。
水戸城 本丸跡の特徴
現在の本丸跡は水戸第一高校が位置しています。
薬医門のみが見学可能で貴重な史跡です。
那珂川と千波湖に挟まれた段丘の突端にあります。
本丸跡の現在の姿は水戸第一高校。入口には警備員さんが配置されていて一般人は中に入れない。
大堀切を跨ぐ橋を超えると本丸跡ですが、県立水戸第一高等学校敷地内になるので薬医門より先は立ち入り禁止です!
現在、本丸跡は水戸一高となっているため、薬医門より奥側の見学は厳しいようです。当時の面影も土塁以外は残っていないようです。
凄い!一つ一つが独立した郭で、土塁の城だけどこれは圧巻。本丸は今は高校があります。
本丸跡に水戸第一高校・中学校あり、二の丸跡に水戸第二中学校、三の丸の住所に三の丸小学校・水戸第三高校・茨城大附属小学校があるのが、偶然なのか?意図的なのか?弘道館で教育に力を入れられた想いが、今に繋がっているのでしょう!
本丸跡は水戸一高の中にあるため、薬医門しか見学出来ません。
現在は水戸第一高校が建っています。
跡地が学校になっていて残っているのは薬医門だけ。学校敷地内であるが、薬医門までは見学可。
学校の敷地内だが史跡見学目的なら立入可と記載されていた。説明板がある程度。遺構があるのかは謎。ここに来る手前の、現在は鉄道が走っている大堀切は見所である。
| 名前 |
水戸城 本丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
029-224-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
2024年12月27日に散策しました。建久4年1193年、常陸平氏一族である馬場資幹(すけもと)は、源頼朝より、この地の地頭を仰せつかり、常陸大掾(だいじょう)に任じられました。舌状台地の突端部分である下の丸に居館を置いたのが、水戸城の始りとされています。やがて馬場氏は、常陸大掾の役職を世襲するようになり、大掾氏を名乗るようになります。応永33年1426年に江戸通房(みちふさ)が、大掾満幹(みつもと)の留守中に水戸城を攻め、城主として水戸を支配します。天正18年1590年、豊臣秀吉の配下となった佐竹義宣(よしのぶ)は、水戸城の江戸重通(しげみち)を攻めて落城させ、城主となりました。佐竹義宣が、大手を西側に変更し、大手門・橋詰門などを整備させています。慶長7年1602年に佐竹義宣は秋田へ転封となりました。慶長14年1609年、徳川頼房(よりふさ)が水戸城主となり、初代水戸藩主となります。明治4年1871年に廃城となりました。