島津義弘の足跡を辿る。
松尾(栗野)城跡の特徴
当時のままの虎口や石垣が魅力的です。
南九州唯一の島津義弘の山城跡が体験できます。
川内川に面した台地のロケーションが素晴らしいです。
島津義弘は天正18(1590)年に飯野城からここ栗野(松尾城)に移る。文禄4(1595)年、朝鮮より栗野に帰り帖佐館へ。虎口の石垣すばらしい。2020年登城ですがりっぱな駐車場もありました。
昼休憩に行きました。駐車場も広くゆっくりと弁当箱をひろげて公園散策。景色がいいです。⛰️
本丸への虎口、石垣が当時のままでしょうか。島津義弘公がここから文禄の役に出陣したんだなと感慨深かったです。本丸跡では、整備すれば眺めが良いのにと思いましたが、義弘公が、本丸が見えないように木を植えたとの看板を見て、納得しました。復元された南御門から、左手すぐに本丸、正面に二の丸跡があり、現弓道場・駐車場が代官城跡になるようです。
松尾(栗野)城は川内川に面した台地に築かれています。もともとこの城は北原氏の居城でしたが1590年島津義弘公が入城した南九州唯一の山城跡です。本丸(北側には二の丸)が残り自然の石垣や石段が今も残り現在は城山公園として大手門を模した冠木門などが建てられています。また本丸の周囲には、低木の「しゃしゃんぼ」が植えられていてこれは義弘によって本丸の目隠しになるようにと植えられたようです。
島津義弘時代の石垣で築かれた虎口を見ることができます。非常に貴重。公園化されてますが群郭式の名残もあります。車で登れますので駐車場から3分ほどで本丸付近に行けます。雨の日は石畳にコケが、ついてて大変滑りやすいので気を付けてください。
駐車場あり、車椅子対応駐車場もあり。トイレは、駐車場付近の建物の側にあります。門と石垣があります。本丸からは栗野、湧水の街並みが見れます。
島津義弘が入城した南九州唯一の山城跡です。野面積みの石垣や石段が今も残り、大手門が復元されています。
5日間の薩摩・大隅・日向の旅もいよいよ大詰め、最後の目的地である栗野の松尾城に来ました。城跡は比較的よく整備されていて、蚊や草木に気を取られず落ち着いて城跡を巡ることができました。駐車場も完備されています。松尾城、九州には松尾城という名の城が多いので、栗野の松尾城(別名栗野城)といえば宜しいかと思います。この城は、島津氏が秀吉の九州征伐に敗れた後、島津義弘が1590(天正18)年飯野城から移った城で、1595(文禄4)年まで、5年間在城した城です。従って、1592(文禄元)年の文禄の役では、義弘はここ松尾城から出陣したことになります。本丸の虎口近くの石垣脇には、その出陣の様子を現した「義弘公朝鮮御出陣之形」という絵図や説明があり、一見の価値はあると思います。ただ、私が気になったのは、あまりにも立派に出陣の様子が描かれているので、兄の義久が文禄の役に非協力的であったことを考えると少し疑問でもあります。(実際、出陣の図を良く見ると鐵炮組9人、弓組8人、鎗組9人しか描かれていません。これは義久の協力が得られなかったことの証左か? それとも、絵図に描くための便宜的なものなのか? これも気になりました。)因みに、義弘は文禄の役から帰還すると帖佐の平松城へ居城を移し、更に1607(慶長12)年には加治木館に移り隠居し、1619(元和5)年に亡くなっています。縄張りとしては薩摩・大隅・日向地方のシラス台地にできた城らしい郭や急崖な堀切で成り立っています。ただ、本丸の石垣は太田道灌の子孫太田武編之助が築いたと云われていて、特に本丸虎口の石垣は大きな石の野面積みであり重厚感があり、この地方の他の城とは違った頑強さを感じました。また、本丸に上がってみると城址碑がひっそりと佇んでいますが、その本丸を囲むように「しゃしゃんぼ」(ツツジ科の常緑樹の灌木)が植えられていて、これは義久のお手植えだそうです。ちょうど私が訪れたときは「しゃしゃんぼ」の小さな実が、ポツン、ポツンと落ちていました。風情を感じましたので、この様子を動画に収めました。ポツン、ポツンと音がしています。最後に、薩摩・大隅・日向5日間の一人旅はこれで終わりました。最初の2日間は台風の影響があり、なかなか思い通りの旅ができませんでしたが、後の3日間は天候に恵まれ充分満喫した旅ができました。森羅万象に感謝いたします。
| 名前 |
松尾(栗野)城跡 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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本丸、二ノ丸下まで車で行けます。飯野城に続き、島津義弘関連の城ということで登城。石垣が一部残っており、見応えがありました。