北野天満宮の原点、文子天満宮。
文子天満宮御旅所の特徴
文子天満宮御旅所は、北野天満宮の原点を物語る場所です。
学問の神・菅原道真公が祀られている神社です。
一人の女性の信仰が起源とされる貴重な歴史があります。
北野天満宮の原点――文子天満宮旧跡を訪ねて京都・北野の地には、学問の神・菅原道真公を祀る北野天満宮が堂々と鎮座していますが、その起源をたどると、一人の女性の信仰にたどり着きます。その人物こそ、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)。彼女の敬虔な思いから始まったとされるのが、「文子天満宮(あやこてんまんぐう)」です。今回は、その旧跡を示す石標についてご紹介します。道真公を最初に祀った女性――多治比文子菅原道真が没した903年、冤罪により左遷され非業の死を遂げた彼の霊を慰めようと、人々の間には自然と信仰が芽生えました。その最初の火付け役となったのが、道真の乳母であった多治比文子です。彼女は自らの住まいの近く――現在の京都市西京区七条あたりに、道真公を祀る小さな祠を建てました。これが後の「北野天満宮」の前身となったと伝えられています。つまり、北野天満宮のはじまりは、一人の女性の切なる祈りから生まれたのです。神人の守り神としての文子天満宮この文子天満宮は、北野天満宮に仕える「神人(しんにん)」たちが多く暮らしていた地域にあり、彼らによって大切に守られてきました。神人たちは神事や祭礼に奉仕する人々で、まさに北野の神域を支える存在。その信仰の中心のひとつが、この文子天満宮でした。明治の遷宮と今に残る石標ところが明治6年(1873年)、政府の神仏分離令や宗教政策により、文子天満宮は北野天満宮の境内へと遷宮され、元の場所からは姿を消すこととなりました。現在、その跡地には石標が静かに佇み、かつてここに道真公への最初の信仰があったことを、今に伝えています。この石標こそが、天神信仰の起点を記す貴重な史跡なのです。おわりに北野天満宮を訪れる際は、ぜひその起源に思いを馳せ、文子天満宮旧跡にも足を運んでみてはいかがでしょうか。大きな神社の華やかさの背後に、一人の女性の祈りと、それを守った人々の信仰が静かに息づいています。石標の前に立てば、その歴史の深さと尊さを、きっと感じることでしょう。
| 名前 |
文子天満宮御旅所 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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天神道上ノ下立売の交差点を北に行った西側にあるのが「文子天満宮御旅所(あやこてんまんぐうごたびしょ)」になります。文子天満宮御旅所の前には「文子天満宮旧址」の石碑があります。文子天満宮は、菅原道真(845年~903年)の乳母多治比文子(たじひのあやこ 生没年未詳)を祀る天満宮である。かつて、この場所に「文子天満宮((あやこてんまんぐう)」が祀られていましたが、北野天満宮内に遷座されて、旧地には拝殿と石鳥居と祠が残るのみです。現在、北野天満宮の御旅所の一つになっています。2025年4月訪問。