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幻の城・右近馬場城を訪ねて 〜北野天満宮のすぐそばに眠る戦国の記憶〜京都・北野天満宮を訪れたことがある方は多いでしょう。学問の神様・菅原道真を祀るこの神社は、観光客や受験生でいつも賑わっています。ですが、この天満宮のすぐそばに、かつて「右近馬場城(うこんのばばじょう)」という幻のような城があったことをご存知でしょうか?右近馬場城とは?右近馬場城は、「北野右近馬場城」とも呼ばれる平城で、現在の京都市上京区、一条通の北側、西陣署の南付近にあったとされています。現地には案内板や遺構は一切残っていませんが、その存在は歴史資料にわずかに記録されています。この城の築城者ははっきりしていませんが、戦国時代の将軍・足利義藤(後の義輝)によって築かれた可能性があります。天文22年(1553年)7月――将軍の出陣時は戦国時代、足利義藤は有力戦国大名・三好長慶と対立し、御所を出て「北野下の森 右近の馬場城」に入城します。この時の目的は長慶に対する軍事行動であったと考えられていますが、実際にこの城で合戦が行われたかどうかは不明です。結局、義藤は敗れて近江へと逃れたと記録されています。このことからも、右近馬場城は臨時の陣城、あるいは退避のための仮の拠点として使用された可能性が高いと見られています。城のその後と幻の姿右近馬場城の廃城時期は記録されておらず不明ですが、京都大学人文科学研究所の山本正男氏の調査によると、南蛮文化館所蔵の『洛中洛外図屏風(北本家A本)』に、一条通に面して堀で囲まれた城跡の描写があるといいます。これにより、城の存在が視覚的にも確認されているのです。おそらくこの城は、紙屋川を望む地形に合わせて築かれた、単郭(たんかく)方形の簡素な城であったと考えられます。今では何も残っていないが…現在、右近馬場城の跡地には何も残っておらず、そこがかつて軍事拠点であった面影は一切感じられません。しかし、北野天満宮を訪れた際には、ほんの少し足を伸ばして、城があったとされる西陣署周辺や一条通沿いを歩いてみてはいかがでしょうか。目には見えなくとも、戦国の将軍が一時身を寄せたこの地には、歴史の気配がひっそりと息づいているかもしれません。