通潤橋を支えた惣庄屋の歴史。
布田保之助像の特徴
通潤橋の真下に佇む布田保之助像が印象的です。
通潤橋の建設に貢献した人物の像が特徴的です。
道の駅から通潤橋を訪れる際に立ち寄るポイントです。
通潤橋の真下に行くまでにこの橋を使った人の像がありました今なおこれが観光のためではなく利用しているものと聞き驚きました。
道の駅通潤橋から、通潤橋の真下まで行く道の途中に築造されている、通潤橋を建設するために尽力した人物です。若いころから、惣庄屋助役(そうじょうやじょやく)として働き、30歳の時に開墾の功績のために金子(きんす)を受領し、32歳に惣庄屋に就任し、34歳の時には全国的な天保の大飢饉の時に、飢饉がなかったため褒美を受けた。その後、上役や地域の住民や石技術集団の協力を得て、およそ2年の歳月を経て、通潤橋の建設に至ったようです。
| 名前 |
布田保之助像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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布田保之助(布田惟暉)は、幕末の肥後国(熊本県)で活躍した惣庄屋であり、優れた実務家です。最大の業績は、水不足に苦しむ白糸台地を救うために建設した日本最大級の石造アーチ橋「通潤橋」です。天保の大飢饉から領民を守り抜いた手腕は高く評価され、明治維新後も地域に尽くしました。晩年は一線を退き、自らの神格化を望まず謙虚に過ごしたとされますが、死後はその功績から神社に祀られました。卓越したリーダーシップと、人間らしい逸話を併せ持つ郷土の偉人です。