近代教育の原点、ここに。
日本最初盲唖院創建之地の特徴
日本最初盲唖院創建之地には、聾唖教育の歴史が刻まれています。
近代教育の原点を象徴する、重要な史跡がここにあります。
石碑は釜座通丸太町の東側に位置しており、訪れる価値があります。
釜座通丸太町を北に行った東側にある「京あんしんこども館」の前に「日本最初盲唖院創建之地」の石碑があります。わが国最初の聾唖教育をはじめた古河太四郎(1845年~1965年)らの案により、待賢小学校内の聾唖教育のための教場がこの地に移転して、明治12年(1879年)に日本最初の公立盲学校・聾唖学校として府立盲唖院が開校した。その後、大正14年(1925年) には盲学校及聾唖学校令により、聾学校新校舎を建てて盲・唖を分離、昭和6年(1931年) に府に移管しそれぞれ府立盲学校(北区紫野花ノ坊町)・府立聾学校(右京区御室大内)となり、現在に至る。2025年10月訪問。
日本最初盲唖院創建之地」の石碑:わが国最初の聾唖教育をはじめた古河太四郎(1845~1965)らの案により,待賢小学校内の聾唖教育のための教場がこの地に移転し,明治12(1879)年に日本最初の公立盲学校・聾唖学校として府立盲唖院が開校した。この石標は盲唖院跡を示すものである。建立年 1968年建立者 京都府立盲学校聾学校同窓会寸 法 高170×幅17×奥行17cm碑 文[北] 日本最初盲唖院創建之地[西] 明治十二年九月十二日創建 京都府教育委員会委員長山田忠男書之[東] 昭和四十三年五月二十四日創立九十周年記念京都府立 盲学校 聾学校 同窓会建之(京都市)Stone monument reading "The site of Japan's first institution for the blind and deaf":Following a suggestion from Furukawa Taishiro (1845-1965), who started the first education for the deaf in Japan, the classroom for the deaf within Taiken Elementary School was moved to this location, and in 1879, the Osaka Prefectural Institute for the Blind and Deaf opened as Japan's first public school for the blind and deaf. This stone marker marks the site of the institution for the blind and deaf.Year of construction: 1968Builder: Kyoto Prefectural School for the Blind and the Deaf Alumni AssociationDimensions: Height 170 x Width 17 x Depth 17 cmInscription on monument:[North] The site of the first school for the blind and deaf in Japan[West] Founded on September 12, 1879, inscribed by Yamada Tadao, Chairman of the Kyoto Prefectural Board of Education[East] May 24, 1968Built by the Kyoto Prefectural School for the Blind and the Deaf Alumni Association to commemorate the 90th anniversary of the founding(Kyoto City)
| 名前 |
日本最初盲唖院創建之地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
〒604-0091 京都府京都市中京区丸太町通釜座東入梅屋町174 |
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近代教育の原点を伝える――府立盲唖院跡京都の町にひっそりと立つ石標は、日本の近代教育史においてきわめて重要な一歩が刻まれた場所を示しています。ここは、わが国で初めて公立の盲学校・聾唖学校が誕生した「府立盲唖院跡」です。この盲唖院の設立は、わが国最初の聾唖教育を切り開いた古河太四郎(1845~1965)らの構想によって実現しました。もともと待賢小学校の校内で行われていた聾唖教育のための教場が、この地へ移転し、明治12年(1879)に府立盲唖院として正式に開校します。これは、日本における障がい児教育が公的制度としてスタートした瞬間でした。府立盲唖院は、視覚や聴覚に障がいをもつ子どもたちに学びの場を提供するだけでなく、「教育はすべての人に開かれるべきである」という近代国家の理念を体現する存在でもありました。当時としては先進的な取り組みであり、全国の盲学校・聾学校設立の先駆けとなります。時代とともに教育制度は整備され、学校は別の場所へと移転しましたが、その原点となったのがこの地です。現在残されているのは盲唖院跡を示す石標のみですが、その小さな存在は、日本の福祉と教育の歩みの重みを静かに伝えています。京都を歩くと、寺社や旧跡だけでなく、こうした近代の社会的挑戦を物語る史跡にも出会えます。この石標の前に立てば、学ぶ機会を切り拓こうとした人々の志と、近代教育のはじまりに思いを馳せることができるでしょう。