心浄化する越中一宮の神域。
越中國一宮 氣多神社の特徴
越中國一宮の中でも特に静かで落ち着いた雰囲気の神社です。
雨晴海岸を見晴らせる小高い山に鎮座するお社です。
本殿は戦国時代に建造された重要文化財です。
一の宮巡りで寄りましたこの日は雨、時折ザーっと強く降ってきて風鈴がすごい勢いで鳴ってました。神様に歓迎されているのか、敬遠されているのか…一の宮の御朱印が欲しいのでかなり降っていたのですが駐車場下の社務所まで行き、書き置きを頂いてきました。どうしても社務所じゃ無いといけなかったのかな…なんて、車も入らないところだったので雨の日はキツかった…
一の宮巡りで伺いました、階段を登ると神聖な所に来たなと感じる素晴らしい神社でした。御朱印は駐車場の下の方に社務所が有り、書き置きが置いてありました。
ツーリング中に伺いました。主祭神大己貴命(おおなむちのみこと)奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)配神菊理姫命(くくりひめのみこと)事代主命(ことしろぬしのみこと)社伝によれば、当神社が勧請されたのは養老元年(717年)としているが、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』[1]では、これに対する傍証は無く、草創については諸説あると述べ、以下の説を紹介している。能登国は養老2年(718年)に越前国より分立し、天平13年(741年)に越中国へ合併された後、天平宝字元年(757年)に再び分立しているが、林喜太郎 『伏木一宮気多神社』[2]によれば、天平13年(741年)から天平宝字元年(757年)までの17年間は、社格からみて羽咋郡の気多大社が全越中の一宮だったはずであり、従って国府の所在地であった当所に分霊されたのは天平宝字元年(757年)前後のことであろうとしている。『高岡市史』では、能登国が越中国に合併されていた時代、国司が着任もしくは定期的に参詣しなければならない国内随一の大社[4]は、当然に羽咋郡の気多大社であったが、国府から遠すぎるため国府近くに遥拝所が設けられ、能登国分立後に独立の神社になったのではないかとしている。『越中国式内等旧社記』[5]には、能登国が越中国から分立した後、能登国の気多大社を勧請して創建されたので「新気多明神」と言う、と述べられている。この「新気多」と言う名称は、後述の『白山之記』にも見える。
気多神社は越中国一宮で、石川県羽咋市にある気多大社から勧請されて当地に鎮座されました。嘗ての国府の近くにあり、大伴家持も参拝したとか。本殿は国の重要文化財に指定されており、見えませんが本殿には弘法大師真筆額「一宮」と藤原行成卿真筆額「氣多大社」が懸かっております。当神社は二上山の麓にあり、緑豊かで静かな、とても心洗われる場所です。御朱印は基本書き置きのものをセルフで頂くスタイルで代金はお心次第で、とのこと。
風鈴演出を知り🚗行ってみました。先ずは見晴らし台に寄り(高台で気持ち良い〜)参道に風鈴の音色が涼しげに響き、とても良い良かったです。駐車場は左側に10台以上あり止めてから階段を登ります😣ちょっとキツイです。
ここも、昔は越中之国一ノ宮の神社になっていたみたいです小高い山の上にありそこから雨晴海岸が一望できます。
大国主さまを祀っている越中の國一の宮の神社⛩️鳥居の横にある駐車場に車🚗止めて、ちょっと長い階段を登ってお社へ🚶♀️ここは車🚗でしか行けないかな😅お参りの人はわたし達だけ💦キレイに清掃された階段、参道、とても気持ち良くて、歩くだけで心が浄化された感じがします🙋♀️お参りのあと、横から本殿を見てきましたとても厳かなお社が見れました🍀
早朝に行ったからでしょうか、澄んだ空気の中で気持ち良く参拝出来ました。眺望が良い高台にあるので、この時期は海に上る朝日が拝めます。御朱印は駐車場手前の社務所にある書置きを頂いて帰りました。
北陸には、名前が似た一宮が三社ある。気多(けた)大社 能登国一宮 石川県羽咋市気多(けた)神社 越中国一宮 富山県高岡市居多(こた)神社 越後国一宮 新潟県上越市2023年の夏の旅行でこの三社を巡拝した。三社とも祭神に大国主命/大己貴命を奉斎する。大国主命は天照大神に国譲りをした後、出雲大社に鎮まったとされている。古代、出雲と北陸は日本海航路で結ばれ、強い繋がりがあったらしい。三社とも海の近くに鎮座していた。ーーーーーーーーーー2023年8月15日 参拝高岡市の気多神社は、富山湾を臨む丘の上に鎮座していた。麓から神社までの坂道はかなりの急勾配だったが、その分、境内からの眺めは良かった。富山湾を一望し、湾の向こうに後立山連峰が見えた。ーーーーーーーーーー境内の看板に、気多神に関連した次の説明があった。「この地域はもと高志(古志・越)の國として纏まり、今の福井・石川・富山・新潟県を合わせた北陸一帯の沿岸にわたる大きな國であった。畿内政権とは異にし、日本海沿岸域は高志と出雲が連携掌握していた地域であったと思われる。」ーーーーーーーーーーかつて神社の近くに越中国府があった。天平18年(746)万葉歌人の大伴家持が国主として越中国府に赴任し、天平勝宝3年(751)までこの地で過ごした。境内に大伴神社と顕彰碑があった。ただし大伴家持がこの地に在任していた当時、この神社はまだ存在していなかったらしい。大伴家持は、この地で過ごした5年間の様子を万葉集に詳細に詠っている。国府から少し離れた場所にある二上神(現・射水神社)を詠んだ和歌が万葉集に収録されているが、より近くにあった筈のこの神社の歌はない。大伴家持が在任していたのは、能登国が越中国に合併されていた時期にあたる。その頃、越中国の一宮は羽咋の気多大社だったが、天平宝字元年(757)越中国から能登国が分立すると、気多大社は能登国の一宮となった。社伝によれば、この神社の創建は養老元年(717)だが、実際は、能登国が分立した頃、羽咋の気多大社から分祠されたらしい。元からこの地に鎮座していた二上神との一宮争いを経た後、越中国の一宮になった。
| 名前 |
越中國一宮 氣多神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0766-44-1836 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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天気の良い日には、心を落ち着けるのに良い神社です。階段をゆっくり登り拝殿に向かって参道を歩くと、富山湾からの風が涼しく吹き上げ、やがて心の澱が落ちていく気がします。8月には風鈴棚がしつらえられ、優しい響きが境内の邪気を払います。