坪井川を舞う鯉のぼり。
大橋記の特徴
毎年恒例の鯉のぼりが美しく泳ぐ坪井川です。
高橋稲荷神社からの景観が楽しめる場所に位置しています。
赤橋を越えた先にある見応えのある石碑があります。
毎年恒例の鯉のぼりを坪井川の岸から岸にかけて泳がせます。
記念碑の由来■大橋記・修防記西暦一八〇二年享和二年建立坪井川の曲流点にある高橋町は昔から大雨が降る といつも洪水が発生していて寛政八年(一七九六) では大変な被害があった。その洪水で大橋上流の西岸の堤防が決壊したが修復がなされず大水ごとに河 川が氾濫し水害が発生していた。この町民の悲惨な 罹災状況を眼の前にした時の町奉行の斎藤高寿は、 高橋町民の決意を求め堤防修復工事を町民総がかりの自力で成し遂げた。寛政十二年正月(一八〇〇) 起工、同年九月竣工という当時における驚くべき短 期間の完成であった。堤防の大修築とともに大橋を 大修繕をして橋脚のない橋に改良したことによって 水害の発生を防ぐことができた。■久末村漕溝記明治元年建立西暦一八六八年 昔の高橋から「高橋の津」という海港の性格を 持ち、寛永年間(一六三〇)に至って熊本の玄関の 港として五市の一に数えられ町の家々はほとんどが 舟運業者であった。貨物の運送は「高橋ひらた舟」 舟の全長は十八米、舟幅は二米で船頭三人荷揚げ 人が五~七人の乗船であった。漕ぎ手の労力は重労 働であり、しかも久末村(現春日)の石塘堰で一旦 荷揚げし上流の舟に積み替えを要した。この中継ぎ の労力と時間を省き舟運利便を企画したのが、嘉永 安政(一八五〇年頃)の時代の高橋町奉行上妻元寛 であった。石塘堰上に通じる用水路を拡張整備して 船路の造成を建議し、関係諸村の許容を得て、安政 四年五月(一八五七) 起工、万延二年三月に四年の 歳月を要し竣工した。この灌漑用水路により町民の苦労は解消され高橋町の受けた利益は多大であり、 その功績をたたえて明治元年(一八六八) この地に「久末村澑溝記」の記念碑が建立された。[平成二十年五月坪井川改修後移設]
熊本市西区高橋稲荷神社から高橋交差点へ向かう道で坪井川を渡る高橋稲荷大橋(通称赤橋)を越えた坪井川側道との間にある石碑です。石碑は3つあり、一つは大橋記、そして修防記。この2つは坪井川の土手修復と高橋稲荷大橋改修の記念で亨和2年(1802年)に建立されています。漢文が刻まれています。もう1つは久末村漕溝記。久末村、今の春日地区の水運に関する水路開通記念碑みたいですが、なぜここにあるかは分かりませんでした。同じ水運拠点の高橋の津として栄えた所として、お祝いを共有してるのでしょうか。こちらは明治元年の建立です。地蔵堂もあり、年代も様々のお地蔵さまが坪井川、地域を見守ってらっしゃいます。
| 名前 |
大橋記 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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見事な鯉のぼりです。川面に映って泳いでるように見えます。