歴史の息吹を感じる場所。
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| 名前 |
天授勤王戦跡碑(詫間原古戦場) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鎌倉幕府が滅びた後、日本は大変な事態が起こりました。南朝と北朝で二人の天皇が存在するという南北朝時代です。色々あって、勝敗を分け合いながら合戦を繰り返す南朝軍と北朝軍。その決戦のひとつがここでも繰り広げられました。天授4(1378)年9月29日早朝、水前寺競技場(託麻原)を舞台に、ついに決戦の火ぶたが切られました。16歳の若き闘将武朝率いる南朝軍は数に押され、戦いは北朝軍有利に進みます。多勢に無勢、南朝軍は多くの戦死者を出し、とうとう武朝自身も傷を負ってしまいました。「我こそは、征西将軍良成なり。我が旗印のもと、みなの者、我に続け!!」この時、健軍宮から颯爽と登場したのは、後征西将軍良成親王その人でした。まだ20歳にも満たない親王が、自ら陣頭に馬を進めて戦います。その雄姿に奮い立たないものはなく、一気に士気を高めた南朝軍は、我先にと北朝軍へと襲いかかりました。そしてついには、今川軍を筑後へと退却させたのです。南朝方最後ともいえる、若き二人が収めた華々しい勝利でした。だって。