高瀬天満宮、歴史が息づく場所。
高瀬天満宮(田中町天神)の特徴
高瀬天満宮は1074年に創建された歴史ある神社です。
菊家の祖・藤原則隆が勧請した由緒正しい神社です。
高瀬七天神の中で最も尊崇されている神社です。
大宰府から荘官として派遣された菊池氏初代 菊池(藤原)則隆が1074年に勧請したとされる。同年、河崎天満宮・梅林天満宮も勧請・移設されており、また梅林周辺が安楽寺(大宰府天満宮)領になっていることから菊池川流域の水運の拠点としてこの一帯を確保したと考えられる。
| 名前 |
高瀬天満宮(田中町天神) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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天満宮の由来当社は高瀬天満宮と称す承保元年 (一〇七四年)菊家の祖、藤原則隆が筑前太宰府 安楽寺天満宮をこの地に勧請して創建したもので、高瀬七天神中最も古く町民の尊崇敬仰厚いものがある。則隆は肥前国道の大京で初の大宰府少監であった ので鹿島太夫将監と云っていた。延久二年(一七〇年)大宰府安楽寺領の荘司として 菊池に下向し高瀬港の重辛性に鑑みて天満宮を動請すると共にこの地を社餌にして高瀬庄と命名した。それで都司家の日道氏と衝突して遂にこれを 七大野別府までその勢力を延ばすに至った。これより高瀬は菊池家と関係が深くなり贄の石津 の名ある高瀬港もるに家の外巻として軍事貿易 文化の中心となり正平の時代には高瀬城が築城その一族をここに居城させるに至った。その後幾多の星霜を重ね、歴史ある社殿も甚だ 朽廃したため氏子の中町田中町の町民が相謎って 浄財五十万円を出して今日に至ったのである昭和四十一年晩春野中長寿 謹誌中川 音校令和元年五月吉日 荒本雍子転書。