歴史を語る河崎井手の碑。
河崎井手の碑の特徴
江戸時代の庄屋が手掛けた、重要な用水路の拠点です。
玉名町小校区まちづくり委員会による解説板が設置されています。
河崎井手の碑は歴史的な意味合いを持つ史跡です。
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玉名町小校区まちづくり委員会による解説板が立っています。
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| 名前 |
河崎井手の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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向かって左が河崎井手の碑、向かって右が草村熊太頌徳碑河崎井手の碑江戸時代の滑石村庄屋 大野十左衛門がここから小浜村・滑石村・高道村まで用水路を造った。この水路は庄屋の名前をとって「じゅうざ堀、じゅうじゃ堀」と呼ばれた。その後、惣庄屋(そうじょうや、庄屋の上役)を務めた三村章太郎がこの用水をを改良し、海辺の干拓地まで水が行きわたるようになった。彼らの功績を後世に伝えようと慶応2年(1866)に木下国均(初太郎)の筆による顕彰碑「河崎井手の碑」が建てられた。大野十左衛門の墓は玉名市滑石にある。また滑石にある大野神社では大野十左衛門を祀っているので、合せて見るのをおすすめする。神社は小さいが、墓石には村人たちの感謝の文がびっしりと彫られている。これも市の指定文化財にはなっていないものの、米作りに関連するので菊池川流域日本遺産の構成文化財のひとつになっている。道路脇にあり駐車場がないのが難点。しかし石碑の後ろ側に水路がまだ残っている。江戸時代の絵図「菊池川全図」にも水路の取水口が描かれている。絵図を見ながら散歩するのもお勧めしたい。