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県道143号(桑名川越線)南に位置しますが、城跡らしきものは見当たりません。しろやま西公園内に建立されている説明板を引用しご紹介します。【城山伝承の碑】 題字:桑名市長 水谷 元 書『桑部城跡』桑部城は室町時代末期に、現在地より北東約一〇〇メ-トル員弁川右岸に舌上に張り出した標高50メートル前後の丘陵地の先端部に築かれた城で、北城と南城があったと伝えられている。城主は桑部北城が毛利次郎左衛門、桑部南城が大儀須若狭守で両城とも織田信長の伊勢侵攻(一五六七年)により滅ぼされたとされている。その後、小牧長久手の戦い(一五八四)の際に豊臣秀吉が改修を命じた古文書が残っている。古来、この地一帯の丘陵地を通称「城山」と称して地区住民から親しまれてきた。なお、城主の子孫として毛利家(大福・桑部山了順寺)大儀須家(東桑部)が存在する。