歴史を感じる山鹿城へ。
山鹿城跡の特徴
山鹿城跡は、山鹿家の居城だった歴史的な場所です。
清滝神社付近に説明板があり、見学しやすいです。
近くの駐車場から徒歩で訪れるのが便利です。
近くの駐車場から歩いて行く事をお勧めします。清瀧神社(祭神は大綿津見神:海の神)の境内にあり南面と南西部は斜面ですが、周囲は住宅地で城の遺構ははっきりしません。参拝後は南面にある階段で往時を偲んでみました。
山鹿城は、湯町城、清滝城、上市城ともいい、菊池家の祖、菊池則隆の次男・西郷太郎政隆の子孫である山鹿氏代々の居城でした。城地は上市の高台一帯を占め、南は清滝口、西は像成寺口、南は菊池口と三カ所の口があり、この場所が、本丸跡といわれています。天正十五年(一五八七)、城主が山鹿彦次郎重安のとき、伯父の菊池城主、隈部親永が所領検地のことで国主佐々成政に一揆を起こし、肥後国衆一揆に発展しました。 重安は息子の隈部親安と城村城に籠もり、戦いに加わりま した。成政の軍とは、互角に戦いましたが、豊臣秀吉の大軍に敗れ、翌十六年五月、小倉において秀吉の命により切腹させられました。この地は、山鹿氏が築城する前は、像成寺という寺地で、惣門の地蔵尊は、いまも火除け地蔵として祀られています。神社に関しては情報にたどり着かなかったのでいずれ。
清滝神社に説明板あり。民家も立っていて、わかりにくい位置にある。山鹿氏の居城だった。
| 名前 |
山鹿城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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山鹿家の居城であった、山鹿城。佐々成政に謀反を起こしたのち、秀吉に制圧されました。今は少し寂れた神社があります。