後花園天皇の歴史を感じる火葬塚。
後花園天皇火葬塚の特徴
堀川紫明の南側に位置する歴史ある火葬塚です。
後花園院の御陵が近隣にある文化的スポットです。
埋葬前に荼毘に付された由緒ある場所が特徴です。
右京区京北にある常照皇寺には後花園院の御陵がありますが、こちらは埋葬前に荼毘に付された場所が火葬塚として残されたものです。当時は天皇が崩御された後、東山泉涌寺の月輪陵(または伏見区深草の深草北陵)に葬られるのが通例でした。しかし崩御の時点で泉涌寺は(そして深草北陵付近にあった安楽行院法華堂も)応仁・文明の乱による戦火で灰燼に帰してしまっており、当地扇町にあった上悲田院にて荼毘に付されたとのこと。なお既にコメントされているように、塚を囲む堀が、東側(裏側)だけ存在せず、敷地が切り取られたような現況となっています。『平安京オーバーレイマップ』で確認すると火葬塚の東側に沿って『小川』の旧河道が南流しており、東側の堀は小川の河道と一体化していたのでは、と推測されます。
| 名前 |
後花園天皇火葬塚 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒602-0071 京都府京都市上京区堀川通上御霊前上る扇町725−4 堀川シティハイツ |
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堀川紫明を南にいった東側にあるのが後花園天皇火葬塚(ごはなぞのてんのうかそうづか)」になります。文明2年(1471年)51歳で崩御された第102代の後花園天皇が火葬された場所の跡になり、その場所を記念して設けられた火葬塚にまります。陵(みささぎ)は、京都府京都市右京区京北井戸町の常照皇寺内にある後山國陵(後山国陵:のちのやまくにのみささぎ)に治定されている。また、京都市上京区般舟院前町の般舟院陵(はんしゅういんのみささぎ)に分骨されている。2025年10月訪問。