有松探訪の旅、文化財の魅力発見!
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| 名前 |
棚橋家住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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国登録有形文化財2025年7月下旬、有松探訪の際に行きました。外観のみで内部の見学はできません。駒札には——————————————————-棚橋家住宅当住宅は、棟札に「明治八年五月吉日」地鎮柱礎長久と記してある・主屋は、木造つじ二階建、切妻造桟瓦茸で桁行一六m、梁間八・五m、一階は土庇とする。二階は出桁造、一間(約一・八m)ごとに格子窓を並べ、漆喰で塗籠られており、妻壁も塗籠とする。東海道を挟み北側に分家した服部家住宅(井桁屋 )の本家(大井げたや)として約五十年絞問屋を営んだ後、棚橋家が、昭和八年から約五十年間医院、その後、住宅として使用されている。名古屋市教育委員会——————————————————————明治の建物ですが、外観は補修され新築に近い感じでした。何故「棚橋家」なのか調べたら大井桁屋服部家と棚橋家との関係は、昭和7年(1932)、名古屋医科大学の医局から派遣された棚橋龍三氏が有松で開業することになり、空家となっていたこちらの建物で開業したことに始まり→昭和25年(1950)、棚橋家は服部家から屋敷地を購入→龍三氏逝去後の昭和63年(1988)、医院は有松駅北へ移転→建物は旧状を維持し現在にいたるとのことでした。