篠山城跡の美しい堀に感動!
篠山城跡の特徴
堀の形が美しい正方形が特徴的です。
日本100名城の一つとして知られています。
兵庫県丹波篠山市に位置する歴史的な城址です。
日本100名城 で、番号:57。篠山城は徳川家康の命で1609年に大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地、篠山盆地の独立丘陵に豊臣秀頼の大阪城攻略拠点として築城されたとのことです。篠山城下町もありますし、駐車場もあるのでドライブには丁度良い目的地だと思います。篠山城跡は、30分〜60分あれば歴史の風景を十分楽しめると思います。
この篠山城跡は兵庫県丹波篠山市に位置します。ここは、兵庫県中部の東よりに位置し、京都府との境にある。山村が主体であるが、この辺りは盆地の中でも広々とした原野が広がつている!?その中心地がこの篠山城である!かつては冬季は灘の酒蔵に杜氏として行つていたので、今でも有名である!?篠山城は慶長13 年(1608年)に築城され、初代藩主松平康重が入封し元和五年(1619年)和泉国岸和田へ移封。その年上野国高崎より松平信吉入封。慶安二年(1649 年)二代目の忠国の時、播磨国明石へ移封。その年、摂津国高槻より松平康信が入封。五代目の信岑の時の寛延元年(1748年)丹波国亀山へ移封。その年、丹波国亀山より青山忠朝入封。六代目忠敏の時廃藩置県となる!見どころは、二の丸に大書院復元されている!又、天守台からは、篠山城下が良く見える!その他、御徒士町武家屋敷群が保存されている。時間があれば数多く見どころを見てみたいところである!
日本100名城の一つ、篠山城に行ってきました。関ヶ原の合戦の後、徳川家康がまだ大阪城に残る豊臣氏を包囲するために天下普請として築かせたお城です。藤堂高虎が縄張りを担当し、池田輝政が普請奉行を行うなど天下人の力を見せつけています。現存は石垣などですが、2000年に大書院が復元されています。ものすごい大きな建物ですね。中には甲冑などが置かれていますが、見学するには少し物足りない感じ。入館料はこの復元費の補填だと思えば仕方なしですね。それにしても半年で作られたお城とのことですが、石垣が見事です。ここまでの石垣を各所から運んでくるなど並大抵のことではないですよね。各大名が競って運び、周りの田畑を無視して石を引きずったそうです。現代の重機を使っても、これほど早く作れないと思います。外堀には蓮の花が咲いていました。まだ少しだけでしたが、綺麗でした。お城に蓮がよく似合いますね。良いお城でした。
| 名前 |
篠山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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上空から見ると堀の形がほぼ正方形、という堀の造形が非常に美しいことで有名な城址である。平山城ではあるが、周辺との高低差はほぼ皆無に等しい平城のようなもので、堀にはなみなみと水が湛えられている。堀の周囲にしろ石垣の上にしろ、転落防止の柵は無いかあるいは低い柵しかない場合があるため、城址の散策中は充分に注意したい。明治時代の廃城令により城は破却されたものの、前述の堀以外にも石垣が遺構として残されている。石垣は、大阪城や熊本城等で見られるような、隙間なく整然と石が詰まれたものではないが、それでも遠目で見ると石垣全体として整っており、美しい造形を見せている。大書院を含めても、1〜2時間程度で散策できると思う。ほとんどの展示物は日本語のみで書かれていることもあり、海外からの観光客からするとやや退屈に思うかもしれないが、日本の城跡好きであれば、(少なくとも城址内には)余計とも思える観光スポットが無いからこそ、遺構を様々な確度で観察することに時間を費やせることが出来るかもしれない。天守台の高さも堀から20mも無く、登りやすいこともこの城の魅力の一つだと思う。堀の内側に小学校があるのは非常に珍しい。当然、小学校敷地内への(観光客含む)関係者以外の立ち入りは厳しく制限されているため、天守等から小学校敷地への落とし物等には充分に注意したい。This castle ruin is renowned for the beauty of its moat, which forms an almost perfect square when viewed from above. Although classified as a hirayamajiro (a castle built on slightly elevated ground), the terrain around it's nearly flat, giving it the appearance of a hirajiro (flatland castle). The moat remains filled with water. Visitors should take care when walking around the site, as there are few safety fences along the moat and stone walls - some areas have none or only low barriers.The castle itself was dismantled following the Meiji government's Haijorei (Castle Abolition Order), yet several features such as the moat and sections of the stone walls still remain. Unlike the precisely fitted stones of Osaka Castle or Kumamoto Castle, these walls were built with more irregular stones; however, when viewed from a distance, their overall structure retains an elegant and harmonious appearance.Exploring the grounds, including the reconstructed Oshoin (main hall), typically takes about one to two hours. Most of the informational displays are written only in Japanese, so international visitors might find the exhibits somewhat difficult to follow. Nevertheless, for those interested in Japanese castle architecture and history, this simplicity can be refreshing - there are few unnecessary tourist distractions, allowing more time to observe and appreciate the remaining structures from various angles.The tenshudai (main keep foundation) rises less than 20 meters above the moat, making it relatively easy to climb compared to many other castles. This accessibility is one of the site’s understated charms.An unusual feature of this castle ruin is that an elementary school stands within the inner moat area. Naturally, entry into the school grounds is strictly prohibited to all non-affiliated visitors, so please be careful not to drop personal belongings from elevated areas such as the tenshudai.