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天正8年(1580)、日向国米良郷(ひゅうがのくにめらごう)の米良安岐守信之(めらあきのかみのぶゆき)は、主従(しゅじゅう)数十人とともに、鷹尾城主田尻鑑種を頼って鷹尾の地に来ました。米良信之は、海岸のよし洲を拓(ひら)き、島堀切村数十町を開拓し、名を島十右衛門(しまじゅうえもん)と改称した島氏の祖(そ)で、慶長11年(1606)、死去しました。高さ1.5メートルの自然石の墓には、「深諦院殿法誉善海大居士慶長十年丙牛三月二日」と銘(めい)が刻(きざ)まれています。Googleより墓には正直なところ見えませんでしたが地域の発展に尽力した方の偉業を伝え管理してあるのには頭が下がります。