愛宕山城跡の庚申塔、歴史の息吹を感じて。
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| 名前 |
愛宕山庚申碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ここに集積されている庚申塔類は主に200mほど東北の愛宕山城跡にあったもので、現在そこは削平されて宅地となっている。伊勢湾を眺望する高台の要害で、ここ走井山矢田城主矢田俊元の族と目される矢田市郎左衛門の居城であった。後慶安4年(1561)桑名入りした松平定綱が巡察の時に鶴が小枝を銜え来たのを吉祥として、西方の愛宕山陽蔵院を置いていたという。その時代の遺物である。庚申塔に混じって「華山翁遺愛碑」がある。桑名藩能筆佐藤鼎栄の顕彰碑で、華山はその別号、藩の時の鐘を再鋳した時にその銘文も書いている(忍へ移転)。碑文に書以外にも多芸であったことが記される。この人の碑は多度の法雲寺にもある。碑文を書いたのは江戸の名筆龜田鵬齋で書丹碑は多いが関西では珍しい。題字は中村佛庵である。・華山翁遺愛碑 文政2 關東龜田興撰并書 桑門佛庵題額[臥10001]・(キャ)日月青面金剛貞享三(1686)丙寅年四月庚辰七日[臥10075]