特攻艇の格納壕跡を巡ろう!
震洋格納壕跡の特徴
軍事基地の遺構を間近で体感できる場所です。
特攻艇の格納壕跡が歴史を物語っています。
俊寛に思いを馳せながらの探索が魅力的です。
特攻艇の格納壕跡。奥行き50mあったそうですが石積みで封鎖されてます。『太平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して、250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の木製小型モーターボート、特攻艇「震洋」(通称:④艇)格納壕跡。この一帯に数カ所あった奥行き50m程の格納壕には、50艇が格納されていたといわれる。小野津にも配備されていた。海軍設営隊(宮元部隊)と共に大島中学3年生により構築され、24時間2交代体制で短期間のうちに完成させた。完成直後の昭和20年2月11日、安藤末喜大尉率いる第40震洋隊187人が配置された。安藤隊は塩道グスンガアー山中に拠を構えて出撃命令を待ったが、米軍上陸部隊が接近することはなく終戦を迎え、ついに1艇も出撃することはなかった。終戦まで約6,000艇が製造された震洋は、オーストラリア・シドニーの戦争記念博物館に現存する1艇を残すのみである。』
2023年10月29日に見学しました。太平洋戦争末期、敵艦に体当たり攻撃を行う特攻艇が震洋です。木製の小型ボートに爆弾を搭載したものでした。特攻機や人間魚雷と同じく、兵士の命をかえりみない兵器でした。ここの部隊からは、一度も出撃することなく終戦を迎えたそうです。
| 名前 |
震洋格納壕跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0997-65-1111 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
喜界島には「俊寛」の痕跡を探しに行ったのですが、軍事基地の遺構が多いことに驚かされました。海軍航空隊が駐留していたためでしょうか俊寛像のすぐ横には掩体壕がありますし、滑走路跡もいたるところに残っています。これらはおもに特攻機の中継基地で、不時着する機体の回収にも使われたと伝えられます。で、この震洋です。旧海軍が開発した特攻兵器です。250キロ爆弾を搭載し敵艦に体当たりをさせるベニヤ製のモーターボートで、マルヨン艇とも呼ばれました。既成のトラックエンジンを流用しましたから開発費・製造費は極めて安価で、2年に満たない製造期間中に6000隻以上が生産されたのです。そして全国いたるところに基地が作られました。この近くだと加計呂麻島にも震洋の基地があり、レプリカも展示されているようです。震洋は英語でSuicide Boatと呼ばれたそうですが、幸いなことにこの基地からは一隻の出撃もなく終戦を迎えました。喜界島を一泊2日で回ってきましたが、小さな島とは言え端折り過ぎました。今地図を見返していると見落としがずいぶんと見つかったのです。暖かくなったらもう一回行ってみましょうか。2025.11.16