大村藩士、儒学の知恵を。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
松林飯山出生地の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
大村藩士で、儒学者。通称は廉之助。3歳で漢字を読み書きし、6歳で漢詩を吟詠。「神童」の誉れが高かった。父が大村藩医を務めていたことから、やがて藩主・大村純熈公に見出され、大村藩士となる。藩校・五教館で頭角を現し(後に祭酒[教授]を務める)、次第に藩政にも参画。飯山を中心としたメンバーの下に勤王派が結集、「大村三十七士」と呼ばれる同盟を結成した。飯山は三十七士中、傑出した秀才だったとのこと。1867年(慶応3年)正月、佐幕派に自宅近くで襲撃され、絶命。世にいう「大村騒動」である。27歳という若さであった。なお、号である「飯山」は、生地の背後に聳える飯盛山に因み、名付けられたとの事である。碑は、大村純英(従四位・軍人)による筆。第27代大村家当主で、大村市長を4期務めた、大村純毅の実父でもあります。主筋から揮毫を受けて、ご本人も感慨無量でしょうね。