立田の経塚で感じる歴史の息吹。
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| 名前 |
立田の経塚 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「立田の経塚さん」(疫病対策)立田の町の東の外れ、旧日章駅の南西約50メートルのあたりに、大きな自然石に経塚と刻まれたものが立っている。経塚は本来死者供養のため、教典を納めて封土を築いたもので、お寺の境内などに見かけるものである。立田の土居城が、天文元年(1532)に長曽我部氏に滅ぼされたときの死者を、同じくこの地にあって焼失した願成寺の経文とともに埋葬したものが、立田の経塚であるといわれる。昔はかなり広い敷地の小山で、多くの五輪塔があったようであるが、高知鉄道(後免安芸線)工事のとき破壊された。ところがその工事中に作業に当たっていた人夫が、原因不明の病気にかかり医者にかかってもよくならなかった。これはこの経塚様の崇りかもしれないと、現在地に作り直し盛大に罪滅ぼしの祭典を行った所、病気はすべて全快したという。崇りのあるものは反面よく御利益もあるという。このことを伝え聞いた人々から、「立田の経塚さんは偉い」と噂は噂をよび、参拝者の人波が立田の町にあふれたそうである。今ではすっかり人家に囲まれてその場所も分かりにくくなったが、経塚の前には立派なお堂も建てられ、疫病退散・無病息災を願う人々のお線香が絶えることがない。ただ、場所は、小さな倉庫の裏にあたる北側にあるため非常に分かりにくい。※①:藤本眞事氏(2022年3月まで南国市談会会長)南国市のごりやくさん『南国史談第20号』・続南国市のごりやくさん『南国史談第21号』に発表。元本は「土佐民話の会」主宰市原麟一郎さんの「土佐のごりやくさん」「続土佐のごりやくさん」の2冊から本人の了解の得て引用またその他その本に記述されていないいくつかのごりやくさんも記述。藤本氏の弁「医学の進歩した今日でも、あちこちに○○に効く○○さん、という民間信仰が根強く残っているのも、あながち無視することはできないであろう。(抜粋)」と記述。※②ごりやくさんは民間信仰であり科学的でないのに、マップに載せるのはどうかと言われれば当然であるので注意をしてほしい。