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東公園にあったものが、県庁を建てる為に、関係者の反対を押し切って、移設されたものです。現在は、慰霊祭も行われなくなったと聞きました。夢野久作が書き遺した近世快人伝に出てくる人物の碑なども含まれ、碑を拝見しながら、近世快人伝に書き遺されている「いくぞーーー」という声が、今でも、人生の腐りどめになっているという文章を、あらためて、思い起こすことができました。明治時代から太平洋戦争が終わるまで、日本の中央政府は、国が強くなり、植民地を持つ国になれば、白人たちの仲間に入れるとの想いから富国強兵に務めました。しかし、福岡の変の犠牲者から教えを受けた、玄洋社の第一世代の人々は、アジアの人々を、有色人種の仲間と考えて、国の方針に逆らって、アジアの独立運動を支援しました。その最初が、インドのラス・ビハリ・ボースを、日英同盟だった政府の方針に背いて、匿ったことでした。その玄洋社の第一世代の原点となる人々に関係する碑の集まりがここにはあります。ずっと、大切にしてほしいと思います。