高知城の重要な防御ライン、発見の旅へ!
二の丸詰門跡の特徴
高知城の二ノ丸詰門跡は歴史的な防御ラインの残る重要な場所です。
二ノ丸と本丸を隔てる場所としての戦略的な意義を感じられます。
ここは城の中心を守る最後の関門として、多くの歴史を物語るスポットです。
特に石碑や案内板は見当たりませんでした。
| 名前 |
二の丸詰門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.5 |
| 住所 |
〒780-0850 高知県高知市丸ノ内1丁目2−1 高知公園 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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高知城の二ノ丸詰門跡(にのまるつめもんあと)は、二ノ丸(二の曲輪)と城の中心である本丸を隔てる、最後の防御ラインにおける重要な関門があった場所です。この「詰門」とは、城の最も奥まった場所にある、敵が押し寄せてきた際に城兵が「詰めて」守るための、文字通り最後の砦を意味します。高知城では、幸いにも門自体が現存していますが、「跡」という言葉は、その門の周囲を取り囲んでいた塀や付属する防御施設を含めた、かつての堅牢な防御複合体があった場所全体を指しています。二ノ丸側から詰門へ向かう通路は、石垣に囲まれた非常に狭い一本道となっており、敵が多人数で一気に攻め込むことができないよう設計されていました。敵がこの通路に差し掛かると、上部の詰門の櫓や、門に接続する多聞塀などから集中砲火を浴びる袋小路のような構造になっていました。この門跡が重要なのは、城の主の生活空間である本丸を守るために、軍事的に最も厳しい防備が施されていたからです。門を突破することは、すなわち城の陥落を意味するため、城兵たちは命を懸けてこの場所を守り抜く必要がありました。現在、この詰門をくぐると、本丸御殿と天守が目の前に現れます。この門跡の位置を確認することは、城の防御における段階的な厳重さ、つまり三ノ丸から二ノ丸、そして本丸へと登るにつれて防御がどれだけ強化されていったのかを理解する上で、不可欠な要素となっています。